文献由来
汝矣島が表記された文献は代表的に大東輿地図、東国輿地勝覽、東国文獻備考があります。大東地志を見ると汝矣島が最初には仍火島と呼ばれたが、後で汝矣島に変えて表記されたことが記録されております。東国輿地勝覽の漢城府山川條では漢江でも有名なユル島 、モクザ島、仍火島に対する内容が載せてあります。そして東国文獻備考、卷2モクザンゾでは羅衣州という名称が出ますが、ここでは汝矣島が栗島と連結されているが、長雨の季節に洪水によって分けられて二つになったと記述されております。
地名の由来
仍火、汝矣、羅衣は汝矣島の地形を意味する韓国の言葉で、同じ意味として解析されます。汝矣島、羅衣州の由来は汝矣島が供水によって呑まれた時にも、最も高い所であった今の国会議事堂があるヤンマル山だけは水に浸らなかったことを見た人々がナイ(我が)島、ノイ(あなたの)島と呼んだことから由来されたとも言います。
汝矣島の古写真