独立館
この建物は朝鮮時代、中国の私信のために迎接宴会と餞送宴会を催した'慕華館'として使った所だ。1894年の甲午更張の後は使われなくなったが、1897年5月に独立協会が中心となって建物を直すことになって、皇太子(純宗)は'独立館'と書いた玄関を下賜し、独立協会の事務室兼集会所として使ることになった。独立館は開化運動や愛国啓蒙運動の中心地としての役割を担当した所である。
自主独立・民族文化の宣揚・利権譲与反対・自由言論伸張・新教育振興・産業開発などを主題として1898年の末期まで毎週討論会が開催され、自主・民権・自彊事象と民族意識を鼓吹して市民大衆を啓蒙する集会場として使われていたものの日本によって強制撤去させられた。独立館は元々ここから東南側へ350m程離れた所に位置していたが、現在位置に韓式木造建物に復元して殉国先烈たちの位牌奉安や展示室として使われている。