ソウル夢—山東夢、「共に見る夢は現実になります
中国山東省党校演説文 日付 2014年11月3日 場所 中国山東党校 尊敬するジャオ・チャン常務副校長、そして教育生の皆様、こんにちは。ソウル特別市長のパク・ウォンスンと申します。大韓民国とソウルから最も近い場所、実に近い距離にある中国山東省で皆様にお会いすることができたことはまるで隣人を見ているようで、情が深く、嬉しいです。 山東省は私にとって不慣れなところではありません。私はソウル市長に就任する前から中国を頻繁に訪ねました。特に、孔子の祠堂と博物館を観覧し、泰山に登っては浩然の氣を養ったここ山東省での記憶は一生忘れることのない思い出として残っています。今日私は山東省でもう一つの思い出を持つようになりました。中国では「党校」と言えば、中国の未来を導いていくエリートを養成する場所だと知っておりますが、孔子の末裔たちである山東省の優秀な人材の前に立つことができて大きな光栄だと思っております。 山東省は数千年の前から北辛文化、龍山文化等を持った場所で、人類起源の故郷のような場所です。また、山東省は中国を代表する世界的な思想家である孔子の故郷と知られている曲阜があり、仁義礼智を説いた孟子と、兼愛を説いた墨子、百戦不殆の軍事が孫子を輩出した実に諸子百家の故郷でありながら、中国と東アジア思想の源流である場所です。 韓国と中国は数千キロを流れて山東省を経て最後には海に流れ込む黄河の流れのように、数千年の時間を共にしながら様々な思想や文化、そして科学と技術を交流し、支援した友好の歴史を持っています。 去る7月に韓国を訪問したシー・ジンピン主席はソウル大学での講演で、「中国と韓国、両国民は『相濡以沫』、つまり、『水を失った魚たちが僅かな唾で互いを濡らしあった』との話のように、両国は困難の中でも互いに助け合って協力した」とおっしゃいました。このように韓国と中国は、特に困難な時期だからこそ、互いに助け合って協力してきました。私も中国の歴史と思想、文化を通じて多くを学び、習いながら私の人生に大きな助けを得られました。幼い頃から「論語」と「孟子」を友とし、「十八史略」と「三國志」をはじめ、リ・ハクとト・ホの漢詩を通じて「人」の道と「人生」の道を学ぶことができました。 何よりも「礼記」と「礼運」に至る天下為公の大同思想は私が勉強して、また社会生活をしながら常に夢を見てきた「共に幸せな生活」の共同体を実現する夢、「もう一つの世界」を共に実現するために命をかけて社会革新運動を繰り広げる動力として作用したこともあります。中国は数千年の人類文明の中心地でした。シー・ジンピン主席がおっしゃる「中国の夢」は人類文明の中心地としての中国を再定立する夢、全ての人類が共に豊かで、幸せな生活を実現するための夢だと思っております。 実はソウルも同じ夢を見ています。ソウル市が実現したい「ソウルの夢」は、「中国の夢」、「山東の夢」と変わらないと思っております。「ソウルの夢」と、「中国の夢」、「山東の夢」は結局のところ、「私の夢」になり、さらには「私たち皆の夢」になります。私はこの夢は私たち皆が「共に幸せな生活」の夢を探す道程であり、「共に豊かで調和する社会」に前進していくことを願う夢の結晶だと思っております。私が本日、皆様の前に立ったのも「ソウルの夢」と、「ソウルの夢」を実現するためのソウル市の努力を共有し、共に問題を探して解決策を探しながら、共に未来のビジョンを立てるためです。 皆様、今世界は非常に早い速度で「都市化」が進んでいます。国際連合によると、今日の世界人口の半分が都市に住んでいると言われています。2050年になると、この数字が70%に迫ると予測されています。中国も都市化の中心に立っています。中国の都市化率はすでに50%を超えており、2020年には60%を目標としています。人々はより良い雇用、より良い生活環境を探して都市に集まります。より多くの人が都市に移住したため、都市は創意性、開発、革新の強力なハーブに変貌し、人類の最も偉大な発明は都市を通じて実現されるようになりました。 しかし、都市の経済的な成功と豊かさの裏側には貧困、公害、環境、エネルギー、住居、交通、犯罪、雇用等のような様々な難題が隠されています。私たちが本日直面している数々のグローバル問題が実は都市から始まりました。したがって都市はまた変化の主役にならなければなりません。 人口一千万の大都市ソウルも都市化の問題を持っています。ご存知のように、韓国は世界で前例を探すのが難しい高度成長、圧縮的な成長を実現しました。産業化と民主化という近代化の業績を短期間に達成し、「ハンガン(漢江)の軌跡」を成し遂げました。朝鮮戦争直後としてもソウルは最悪に近い環境に置かれていました。道路、上下水道は全然足りなく、非衛生的で伝染病まで猖獗を極めていました。当時、一人当たりのGNPは82ドル程度で失業率は非常に高かったです。そのようなソウルが約30年で世界的な水準の都市に成長しました。「ソウル市政10カ年計画」、「ソウル都市基本計画」等、政府と民間専門家が主導する推進システムによってソウルは速く効率的な都市化を達成し、インフラ構築と都市拡張に成功しました。 しかし、高速成長という輝く成果の裏側には影がありました。地域不均衡と階層間の葛藤、都市の乱開発と環境汚染等が眼前の懸案として登場しました。量的成長を重視した結果、持続可能な発展と「生活の質」を疎外したという評価もありました。中国の科学的な発展観もこのような問題意識から現れたものだと思っております。 あの絵、見えますね?私がソウル市長に就任してから1年後、2年後、3年後の私の姿を予測した絵です。しわが深まり、髪の毛もけっこう抜けっていますね?それほど一千万人口の巨大都市らしくソウルは今数多い問題と様々な理解関係、葛藤が内在していました。3年前、ソウル市長に就任した私は、「全ての人と関連する問題は人だけが解決できる」という話のように、結局私たちの問題は私たち皆が集まって、共に方法を探し、共に解決していかなければならないと思いました。「荷花雖好, 也要綠葉扶持」という中国のことわざが強調しているように、協力は非常に重要です。蓮の花がいくら美しいと言っても緑の葉っぱがなければ、真の蓮の花として咲くことはできなかったのでしょう。 したがって私はソウル市長就任の弁として、「市民の皆様が市長です」という旗印を上げ、市民と共に協力しながら、「市民の生活を変える市長になる」と宣言しました。そのため「協力政治」と「革新」を市政運営の原則としました。最近、シー・ジンピン主席も革新と疎通、そして治理能力の現代化を強調していることを見て、私は深く共感しました。 何よりも私は協力政治のためには市民との疎通が最も重要だと思っております。今年の新年辞では疎通によって市民を安らげる「以通安民」を揚げた事もあります。私は市民との「疎通」こそ、全ての問題を解決する始まりであり、解決への道に進む最も美しい過程だと思っております。 疎通に成功するためにはまずよく聞かなければなりません。したがってソウル市は官庁の「庁」の字でなく、聞くの「聞」を使って市民の声を聞く「聞策討論会」を頻繁に開催しています。処理すべき懸案や未来の政策を作る時には市民を支えて市民の声を聞きます。「聞策」は単に聞くだけにとどまりません。市民の意見を聞き、綿密に検討してソウル市の政策として作ります。私の就任以降、今年10月まで「超微細ほこり対応方案」等を含め、合計88回の聞策討論会に一万2,000余りの市民が参加し、これはそのままソウル市の政策につながりました。 また、専門家たちと共に討論する「熟議」はソウル市の政策をより一層専門化し、同時に反対の意見まで吸い上げる公論の場となっています。 「百聞は一見に如かず」という言葉のように、現場で直接市民と会い、市民のお話を直接聞いて、体験することも非常に重要な市政の原則です。私は市長に就任してから現場の問題を解決するために、現場で宿泊しながら市長室を設ける「現場市長室」を運営し、合計120回余りを超えて現場を訪問しました。最初に葛藤の現場を訪れた時には市民たちから胸ぐらをつかまれそうになったこともあり、「辞任しろ」とやじられたこともあります。しかし、その方々の話を聞き、共に対策を模索して行くと、その後にはむしろ「市長のファンになった」と言ってくれる方もできました。私はこのように、現場に行けば問題解決に一歩近づけることがでるため、「現場に答えがある」と思っております。 ソウル市はこのように市民と共にする協力政治を市政の基本原理としています。民・専門家・官・企業が共にしながら市政を運営しています。中国も協商政治の重要性を強調する根底にはこのような熟議と討議が政治の中心に位置付けられなければならないという必要性があったためだと思っています。 「革新」もソウル市政の重要な原則です。私はソウル市長に就任するとすぐに韓国の地方政府としては最初に「ソウル革新企画館」を新設して行政の革新を図り、「葛藤調整官」という職位を作って一千万市民の理解と葛藤を最小化するために努力しました。 全ての情報の開放・公開、共有を通じて市政の透明性を高め、責任性を強化する行政革新も実現しました。「開かれたデータ広場」の1,438個のデータセット、行政情報公開自動システムによる5万件余りの行政情報は今やソウル市民であれば誰でも閲覧し、活用することができる新しい情報と価値創出の場となっています。 モバイル市民時代に相応しく、スマートフォンを始めとしたオンライン疎通の道も大きく開きました。SNS革新の行政は実に光の速度、光速行政の時代を開きました。市長である私のSNSフォロワーは130万人を超えており、私のSNSは世界市民の誰にでも開かれている政策公論の場となっています。「市長、地下鉄の駅で用意されている車椅子が故障しましたか?」、「家の前の歩道ブロックが壊れて不便です。」、「生ゴミ箱から変な匂いがします。」私はこれら全ての市民の声を見ると直ちにソウル市の当該部署の職員に知らせます。市民の小言や苦言は近いうちに笑い声に返ってきます。 ソウル市はこのように市民の便意と参与の高いオンラインを活用し、様々な苦情と市民提案の窓口「応答所」を開設しました。多くの苦情窓口と複雑な苦情サービスを一つに統合し、混乱を解消して不便を減らしていきました。苦情処理の期限を担当者に告げて遅延する事例を減らし、市民の皆様には携帯電話や電子メールで進行状況をリアルタイムで知らせて処理過程の透明性を確保して公開しています。 ソウル市はこのように市民との疎通による「協力政治」と「革新」を通じて「ソウルの夢」を一つずつ実現しており、都市問題を一つずつ解決していっています。「協力政治」と「革新」は「ソウルの夢」を実現させてくれる両翼となっています。 「ソウル市の交通カード対策」と「歩行親和都市政策」、気候環境問題に対処する「原発1基削減事業」と「ゴミ処理対策」、「電子政府システム」と「公職者革新対策」等は、ソウルが目指している「ソウルの夢」と、これが実際にはどのように進んでいるかを良く見せてくれます。 まず、「ソウル市の交通カード対策」と「歩行親和都市政策」です。交通地獄という不名誉を拭い去った「ソウル市の交通カード対策」と「歩行親和都市政策」はソウルの交通混雑を緩和し、市民の生活の質を高めました。ソウルは人口と車両の爆発的な増加で自動車の通行速度はだんだん減っており、交通混雑の費用は日々増してきました。 道路渋滞のため市内バスの運行速度は減り、バスの利用客も減り始めました。乗客が減ると運輸会社の経営も悪化し、乗客へのサービスもだんだん悪くなるという悪循環に落ちってしまいました。結局、2000年代始めの市内バスの利用率は20年前と比べて半分に落ちてしまいました。 パラダイムの転換が必要でした。最初には先端IT技術を導入した交通カードシステムを作りました。たった一枚の交通カードで地下鉄や市内バス、タクシーを利用できるこのカードは実にマジックカードです。交通カードシステムを導入して交通手段間の無料乗り換えが可能になりました。過去にはバスや地下鉄を乗る時には必ず基本料金を支払わなければならないのを、乗り換える時に基本料金の追加負担をなくして全体の移動距離によって料金を支払うという「統合乗り換え料金制」を導入し、経済的な合理性を高めました。大衆交通利用者のほとんどが交通カードを使用しており(地下鉄100%、バス98%)、交通カード利用件数は一日平均で、1,382万件(バス約570万、鉄道約750万、タクシー約62万件)、利用金額は140億ウォンに達しています。 交通カードシステムを導入した結果、減少し続けていたバスの利用者は増加して自家用自動車の利用客は減りました。バスの利用者が増加したため運輸会社の運送収益金が増加し始め、交通カードによる運賃徴収によって経営の透明性も高くなりました。 大衆交通の利用が増加したことで乗用車の運行が減少し、ソウルの大気汚染度もだんだん減りました。無料乗り換えによる交通料金の節減によって市民の経済的な負担は減り、バス到着情報案内TOPIS等、大衆交通のサービス改善につながり、市民の便意と満足度はだんだん高まりました。これがありがたい交通カードです。 歩行親和都市のソウル宣言も交通混雑を防ぎ、市民の皆様が自由にソウルを歩けるようとした「ソウルの夢」が込められた政策です。現在ソウルの車両登録台数は約300万台にのぼります。一千万の人口ですので3人1台に当たりますね?したがってソウル市は歩行者優先の価値観が込められた「歩行親和都市のソウル」ビジョンを宣言しました。 ここ朝鮮の王宮だったトクスグンギルを一回見てください。安心して歩く歩行専用の町を始め、生活圏道路での自動車の速度制限、人を最優先とする信号機の運営、横断報道の拡大があります。また、トクスグンギルは毎週水曜日には歩行専用の町である「都市楽の町」を宣布し、昼間のサラリーマンたちが王宮の道で昼食を食べて散歩もできるようにしました。歴史と文化を日常生活に密接なものにして生活の活力を高めることができました。 ソウル駅高架は1970年に竣工されてからソウルの真ん中を貫通し、ソウルの発展を象徴する高架道路でした。しかし、老巧化による安全度D等級の判定を受けてから通行が全面禁止され、今年末には撤去される予定でした。しかし、私は別のことを考えていました。ソウルの歴史が込められた高架を全面的に撤去するよりは市民の歩行空間、緑地空間として再誕生するのが望ましいという考えに基づき、今は市民の皆様と共に市民のための新しい歩行空間を造成するために準備しています。今ソウルは街のいたるところが緑化の道に飾られており、散策路、歴史文化探訪路等が造成され、歩きたい街に変化しています。ソウル広場、チョンゲ(清溪)広場、クァンファムン(光化門)広場等、ソウルの真ん中はすでに市民の皆様に開放されています。これからも世界第一の歩行親和都市を実現しようとするソウル市の努力は続きます。 これまで人類は数々の危機と挑戦を克服しながら新しい歴史を作ってきました。しかし、今日人類は最も深刻で脅迫的な挑戦を受けています。地球温暖化と気候変化のような環境問題です。 2011年、日本の福島原発事故は安全で持続可能なエネルギーに対する関心を呼び起こし、同年発生した循環停電事故は地方から生産された電力がこなければ直ちに都市機能が麻痺するしかないソウルにとってエネルギー政策を省察する契機になりました。 ソウル市は市民と共にエネルギー危機の克服について悩みました。どのようにすればエネルギーを節約することができるか、どのようにすれば化石燃料エネルギーでなく、環境に優しいエネルギーを使用できるかと、研究して討論して顔を寄せ合わせました。原子力発電所1基の発電量は200万TOEです。環境保護とエネルギー問題に対する根本的な発想から実際に「原発1基削減」の効果を得ました。エネルギー生産、効率化、節約という3大分野を中心に、不可能を可能にしようとする信頼と責任感が巻き起こした一大「事件」でした。 市民たちは家庭と学校で太陽光設置に積極的に参与して「太陽光発電所」作りに参加してくれました。エネルギー節約に参与する「エコマイレージ」は170万人(累計)が加入して家庭で、学校で、職場でエネルギー節約を生活化しました。「エコマイレージ」とはエコ(eco)とマイレージ(mileage)の合成語で、新環境を積み重ねるという意味として電気、水道、都市ガスを節約した分、インセンティブを与える市民参与プログラムです。「エコマイレージ」ホームページに加入すれば、毎月の電気、水道、都市ガスの使用量を確認しながら会員の皆様が自ら管理することができます。またソウル市は収集したエネルギー使用量を6か月ごとにチェックし、エネルギー節減を実践した会員の方には低炭素活動に再投資されるインセンティブを提供しております。 地球が休めるように毎月22日、1時間ずつ「幸せな火をオフにする」運動にも多くの市民が参加してくれました。市民たちの認識が次第に変化し、参与と参加が拡大されました。「ちりも積もれば山となる」という言葉は次第に現実になってきました。2014年6月、ついに市民たちの積極的な参与の結果、当初計画より6ヶ月も早い時期に200万TOE節減という目標を達成しました。「愚公山を移す」の努力が実ったのです。不可能に見えた夢を実現しようとする熱情がソウルをエネルギー自立都市への夢に一歩近づけてくれました。 その結果、国際連合の公共行政賞、WGBC(World Green Building Council)気候変化リーダーシップ賞、世界自然基金(WWF)より賞を受け、最近ではC40-シーメンス 都市気候リーダーシップアワード「太陽光分野」で賞を受けました。 「原発1基削減」は制度の改善と独創的な事業を通じて地域エネルギー政策の成功的なモデルを提示したという評価を受けました。この事業は現在国内の他の自治体はもちろん、世界国際機構と様々な都市の学習対象となりました。 こらからソウルはより大きい夢を抱いて「原発1基削減第2段階」を始めます。「原発1基削減第2段階」が成功すれば、ソウルの電力自立率は20%まで上り、400万TOEのエネルギーが節減され、1,000トンの温室ガスが減るようになります。「エネルギー所費の都市」から「エネルギー生産の都市」に変換しようとするソウルの夢が少しずつ実現して行っています。 皆様、世界は今ゴミと戦争しています。大都市のソウルも例外ではありません。ゴミ問題はソウルのような大都市にとって解決し難しい宿題でした。急激な都市化と産業化によってソウルが急激に膨張していく中で増えたゴミはハンガン(漢江)の小さな島であるナンジドに埋め立てられ始めました。 落花生ともろこしを栽培し、白鳥と黒鴨等、渡り鳥の楽園だったソウルのナンジドは15年の間、9,200万トンのゴミが埋め立てられ、高さ100メートル余りの二つの巨大なゴミ山に変わりました。ゴミの埋め立ては悪臭と有害ガス、浸出水の発生等でハンガン(漢江)の水質と大気を汚染させ、生態系を破壊しました。ソウル市はこれらの問題を解決するために1990年代まで大きな努力を傾け、今はワールドカップ公園に変身することに成功しました。 また、排出量によって処理費を課するゴミ従量制を1995年に積極的に施行した結果、2000年と比べて発生量は20%も減り、再活用品の収集は最大46%が増加する効果を見ました。そして2005年以降は生ゴミ従量制を順次に導入し、2009年と比べて11%減少する効果を見ました。 しかし、ソウルは相変わらず1日平均3万7,000トン余りのゴミが発生しており、この中、719トンがソウル市近隣都市であるインチョン(仁川)の埋立地に送られています。インチョン(仁川)の埋立地付近の住民たちは今も悪臭と浸出水の汚染等で苦しめられています。隣人たちの苦痛はこれ以上ゴミの埋め立てに依存することだけでは持続可能な生活の質と都市の発展を保障することが難しいのを証明してくれました。 ソウル市はもう一つの「ソウルの夢」を抱いています。ゴミ埋め立てゼロ化という不可能な夢に対する新しい挑戦を始めました。皆が難しいと同じ意見を述べていますが、ゴム埋め立てゼロ化を実現すれば、ソウル市は環境的な面からも、市民たちの生活の質の面からも画期的に跳躍することができます。 ソウル市はゴミ発生量の削減のために自治区ごとに公共処理施設への搬入量管理制を導入し、削減の目標達成を与え、住宅街に再活用停留場を9,100箇所に拡大し、多量排出の事業場及び公共庁舎、縫製原緞業体、24時間コンビニエンスストアに対する再活用を強化し、2016年まで1日600トンのゴミ排出量を削減する計画です。 さらに資源回収施設の性能改善を通じて自体処理能力を増大し、首都圏の他の自治体の資源回収施設を共同で利用する等、処理施設の革新によって1日の処理容量を700トン確保する計画です。処理施設の革新は悪臭及び有害物質の発生を防ぎ、ソウルの大気環境を改善するために非常に重要な役割を果たします。 ソウル市は再活用・再製造産業を育成するために、2016年まで総面積16万6,530㎡規模の「ソウルリサイクルプラザ」を造成する計画です。リサイクルプラザは「再活用品」を利用して新しい付加価値を創出する再活用産業に対するソウルの夢が込められています。リサイクルプラザにはリサイクル作業場、リサイクル製品展示・販売場、関連博物館、リサイクル工房等が入る予定です。 ソウル市のこのような努力は1日の生活ゴミの発生量を2,400トン減らし、2016年まで生活ゴミの埋め立てゼロ化への夢を実現してくれます。これはソウルをドイツの「フライブルク」を乗り越える環境に優しい都市とさせ、「ソウルリサイクルプラザ」は世界的な観光名所へと進化するようになります。「ゴミ埋め立てゼロ化の都市」は「ソウルの夢」が未来世代に与える大きな一つの贈り物となります。... 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