新しい歴史、新しい未来を共に開いて行きましょう
早稲田大学講演 日付 2015年2月1日 場所 早稲田大学 こんにちは。皆様、お会いすることができて嬉しいです。ソウル特別市長のパク・ウォンスンと申します。講演に先立ちまして、まずISによって犠牲となった湯川遙菜氏と後藤健二氏のご冥福をお祈りいたします。日本国民皆様の衝撃と苦痛、悲しみを共にすると同時に、深い慰労を申し上げます。私は今回「都市安全」をテーマとして日本を訪問しましたが、対テロ対策についても都市間に共助し、協力して市民たちの安全を強固に守ることができるように努力していきます。 光復と戦後70周年、韓日国交正常化50周年となる2015年に初めての海外歴訪訪問地として日本に来ることができて非常に意味深いと思っております。何よりも日本最高の名門大学である早稲田大学の学生たちと東京の市民たちの前に立つことができてとっても嬉しく、また光栄に思っております。 早稲田大学は日本の伝統ある名門私学です。海部俊樹元総理、小淵惠三元総理、森喜朗元総理をはじめ、7人の総理を輩出し、数多い企業の最高経営者はもろん、韓国にも多くのファンがいる「ノルウェーの森」の作家、村上春樹等を生んだ名実ともに政治と経済、学問と知性の象牙の塔です。 私も過去早稲田大学を見学したことがあります。2000年9月から11月まで3か月間、日本の市民社会を見聞する機会がありましたが、当時早稲田大学は最も印象深い場所の一つでした。私は早稲田大学の長い歴史と由緒深い学問的な伝統が与えてくれる学風と気品に大きな印象を受け、500万巻余りに至る書物を所蔵する図書館の威厳に驚きました。当時韓国では市民運動家としての道を歩んでいた私は、国と国境を越え、普遍的な価値と規範を追求する市民運動家の観点から日本と日本の市民社会を学ぶために日本の隅々までを注意深く観察しました。当時お会いすることができた日本と日本人たちに対する所感、日本の市民社会をインタビュー調査した結果は韓国と日本で本として出版されました。 日本の様々な政治家と市民団体の活動家たち、そして市民たちから受けた印象を一言で言えば、真剣さとそれが与えてくれる感動でした。私が日本の社会で発見したのは生きている地域社会と地域運動であり、市民一人一人の良心と努力、献身が集まって西洋社会の法律に基づいた公共社会とは異なる堅固な共同体をなしていること、個人と集団の誠実性に基づいた伝統と協同の力が生きているということでした。 特に、徹底的に地方分権を基に小さなことから大きなことへと変化を導く日本の市民社会の活動と力はその後私の市民社会運動にも大きな霊感を与えてくれました。 日本で最も頻繁に使う言葉の中では「町づくり」という言葉がありますね?健康に生きている共同体、活力のある地域社会を作るための「町づくり」は本当にうらやましくなるような対象でした。 皆様、私は韓国の地方自治体の長としては珍しく日本のことをよく知っている市長です。日本を頻繁に訪問して、日本全国を回り取材した経験があるだけに日本のことをよく知っています。あの絵をご覧になればわかると思いますが、ほぼ日本全国を回ったとしても過言ではありませんね? 私は今も日本を訪れる時はまるでソウルのある町から他の町へと移動する「市内バス」に乗ったように気軽に来ています。ソウルから東京までが2時間しかかからないから韓国や日本で国内を移動するよりもはるかに近いでしょう。韓国と日本、ソウルと東京は時間的にも空間的にもこれほど密接な関係にあります。もちろん情緒的にもそうですね?そうでしょうね? 日本では「遠 くの親戚より近くの他人」ということわざがありますね?韓国でも同じように「隣は親戚」ということわざがあります。韓国と日本は本当に近い隣国という意味です。 しかし、これほど近いだけに愛憎の関係もありました。歴史的な悲劇があった時期もあり、直視しなければならない過去と、共に解決しなければならない過去史も厳存しています。 しかし、韓国と日本はまた1,500年余り以上の歳月の間、共に交流して協力してきた歴史と様々な思想と文物を伝播、伝授しながら共に互いを学んできた共存の歴史があります。2002年の韓日ワールドカップも私たちは共に成功的に開催することができました。 同じような顔をしており、生活やシステム、法律も似ています。世界の人々は韓国人と日本人を区別することが難しいようです。同じような問題も抱えています。高齢化、低出産、青年失業、都市再生、エネルギー問題等は韓国と日本が共に抱えている問題でありながら、共に克服しなければならない懸案です。 私は全地球が運命共同体になった21世紀に、似たようなものが多い韓国と日本が開かれた心を持って共に協力し、共に力を合わせれば、必ず新しい歴史を約し、新しい未来を開いて行けると思っております。 持続可能な未来への道、エネルギーと環境への道、共通の都市問題を解決し、未来の食材を準備する道へと共に顔を合わせて、共に力を合わせれば、新しい歴史と新しい未来への道は私たちの前に大きく開きます。その出発点が「都市外交」です。 21世紀はローカル・トゥ・ローカル、ピープル・トゥ・ピープルの時代です。国家を超える小さな実践が集まれば国家が解決できなかった問題、外交で乗り越えることができなかった問題を解決する糸口を探ることができます。 去年7月に行われた舛添要一東京都知事のソウル訪問は、国家間都市外交の新しい扉を開いた象徴的な訪韓でした。韓国の言論も舛添知事の訪韓を大きく取り上げる等、大きな関心を示しました。さらに舛添知事の訪韓はその象徴制を超え、ソウルと東京間の実質的な交流事業の増加と関係増進に繋がりました。 都市の安全や災難救助の活動を共にして、観光・文化分野の交流・協力を積極的に展開して行き、大気質の改善と気候環境に共同対応する等、過去どの時期よりも積極的で活発な疎通と交流が行われています。 このように排他的な国家利益の追求を超えた都市と都市、市民と市民間による多層的で中層的な連帯と協力は、結局、国家間の葛藤と問題を解決していく出発点になります。 このためには、何よりも互いの「疎通」が重要です。私はアリストテレスが言った「人間は社会的な動物である」という言葉は二つの意味を持っていると思っております。人間は疎通する存在であり、協力する存在だという意味でしょう。「私たちは協力するために生まれついたのであって、たとえば両足や、両手の場合と同様である(マルクス・アウレリウス)」の言葉もあるように、人間は確かに疎通して、協力する社会的な存在です。したがって私は本日の講演のテーマである「疎通の力」、ソウル市の新しい「疎通市政と都市外交」を通じて21世紀都市の時代を生きている私たちがどのように都市問題を解決していくか、なぜ疎通が重要で協力が重要か、疎通と協力がどのような結果をもたらすかについて、私が歩んできた生活の道とソウル市の政策事例等を基に申し上げようとします。それと同時に、ゴローバル時代の都市外交の方向と韓日間の都市外交の新しい模索について共に論議して討論する時間も持つようにします。 皆様、今世界は非常に速い速度で「都市化」が進んでいます。国際連合によると、今日世界人口の半分が都市に居住しており、2050年になるとこの数字が70%に迫ると予測されます。また2020年まで人口1,000万以上の大都市が新しく12都市生まれると見られています。 人々はより良い雇用、より良い生活環境を探すために都市に集まります。多くの人々が都市へ移住したため、都市は創意性、開発、革新の強力なハブに変貌し、人類の最も偉大な発明は都市を中心になされるようになりました。 都市の経済的な成功と豊かさの裏側には貧困、公害、環境、エネルギー、住居、交通、犯罪、雇用等のような様々な難題が隠されています。私たちが今日直面している多くのグローバル問題が実は都市から始まりました。そのため都市は変化と革新の主役にならなければなりません。 人口一千万の大都市であるソウルも都市化の問題を抱えています。ご存知のように、韓国は世界的にも前例のないほど速い高速成長、圧縮的な成長を実現しました。産業化と民主化という近代化の業績を短期間に達成し、「ハンガン(漢江)の軌跡」を作りました。その中心には韓国の首都ソウルがありました。 ソウルは1950年の朝鮮戦争直後としても最悪に近い環境に置かれていました。道路、上下水道は全然足りなく、非衛生的で伝染病まで猖獗を極めていました。当時、一人当たりのGNPは82ドル程度で失業率は非常に高かったです。そのようなソウルが約30年で世界的な水準の都市に成長しました。「ソウル市政10カ年計画」、「ソウル都市基本計画」等、官と専門家が主導する推進システムによってソウルは速くて効率的な都市化を達成し、インフラの構築と都市拡張に成功しました。 しかし、高速成長という輝く成果の裏側には副作用や葛藤等の影がありました。地域不均衡と階層間の葛藤、都市の乱開発と環境汚染等は無視できない、黙認できない眼前の懸案として登場しました。 また、安全、福祉、教育、保育、失業、格差社会、エネルギー、自殺、超高齢化、低出産、犯罪等、多くの問題が山積しています。それではソウルはこのような問題をどのように解決しているでしょうか。 3年前、ソウル市長に就任した私は「人と関連する全ての問題は人だけが解決できる」という話のように、結局私たちの全ての問題は私たち皆が集まって共に方法を探し、解決して行かなければならないと思いますた。 したがって私はソウル市長就任の弁として「市民の皆様が市長です」という旗幟を揚げ、「市民の生活を変える市長になる」と宣言しました。私はこれを原則として市民と共に協力政治を実現し、ソウルの市政を新く革新しています。ソウル市の力だけでなく、市民・専門家・企業等、民・官・企業が疎通、参与、ガバナンスを通じて顔を合わせて、共に問題を解決しています。 「革新」にも拍車をかけました。私はソウル市長に就任するとすぐ韓国の地方政府としては初めて「ソウル革新企画館」を新設して行政革新を図り、「葛藤調整官」という職位を作って一千万市民の理解と葛藤を最小化するために努力しました。 行政革新の核心は断然、「市民の皆様が市長です」というモットーを実現することでした。したがってソウル市の全ての革新は結局、市民と共に夢を見、共に作り、共に享受するソウル、共に幸せな生活の特別市を作ろうとした道でした。このような観点からソウル市は根本的な行政のパラダイスを変えています。 重たい官僚主義の服を脱いて、テーブルの上で想像するだけの卓上行政から脱皮し、市民中心の市政、市民の皆様が市長である市政、現場主義の市政を展開しています。これがいわゆる「ウォンスン氏スタイル」と呼ばれるソウル市の疎通行政です。それではソウル市の疎通行政はどのように展開されているでしょうか? 疎通に成功するためにはまずよく聞かなければなりません。したがってソウル市は官庁の「庁」の字でなく、聞くの「聞」を使って市民の声を聞く「聞策討論会」を頻繁に開催しています。処理すべき懸案や未来の政策を作る時にはまず市民を支えて市民の声を聞きます。そして市民の意見を綿密に検討してソウル市の政策として作ります。 私の就任以降、今年1月まで「超微細ほこり対応方案」等を含む合計90回余りの聞策討論会に一万2,000人余りの市民が参加してくださって、これはそのままソウル市の政策につながりました。また、専門家たちと共に討論する「熟議」は、ソウル市の政策をより一層専門化し、同時に反対の意見まで吸い上げる公論の場となっています。 「百聞は一見に如かず」という言葉のように、現場で直接市民と会い、市民の意見を直接聞いて体験することも非常に重要な市政の原則です。私は市長に就任してから現場の問題を解決するために、現場で宿泊しながら市長室を設ける「現場市長室」を運営し、合計120回余りを超えて現場を訪問しました。最初に葛藤の現場を訪れた時には市民たちから胸ぐらをつかまれそうになったこともあり、「辞任しろ」とやじられたこともあります。しかし、その方々の意見を聞き、共に対策を模索して行くと、その後にはむしろ「市長のファンになった」と言ってくださった方もできました。私はこのように現場に行けば問題解決に一歩近づけることがでるため、「現場に答えがある」と思っております。 ソウル市は全ての情報の開放、公開、共有を通じて市政の透明性を高め、責任性を強化する行政革新も実現しました。「開かれたデータ広場」の3,672個のデータセット、行政情報公開自動システムによって公開された351万件余りの行政情報は今やソウル市民であれば誰でも閲覧し、活用することができる新しい情報と価値創出の場となっています。 モバイル市民時代に相応しく、スマートフォンを始めとしたオンライン疎通の道も大きく開きました。SNS革新行政は実に光の速度、光速行政の時代を開きました。市長である私のSNSフォロワーはツイッター100万人を含めて150万人を超えており、私のSNSは世界市民の誰にでも開かれている苦情の場だけでなく、政策公論のアゴラとなっています。今ここで私のフォロワーがいらしゃいますか?もし今フォロワーリクエストを送れば、私がすぐ受け入れます。 2012年のある日、私のツィッターに飛んできた苦情です。「尊敬するソウル市長、私はソウル市内バス○○企業で勤務しているバス労働者です。○○企業のバス労働者たちは今も会社の常習的な賃金の未払いで困っています。必ず解決してください。」私はこのツィッターをすぐソウル市交通本部に知らせました。 そして4日後、再び私のツィッターに飛んできたその方からのメッセージです。「パクウォンスン市長、ありがとうございます。昨日未払い賃金が入金されました。300余りのバス労働者たちが感謝していおります。こんなに早く解決されるとは期待もしなかったですが、今回の子どもの日には子供たちにとって堂々としたパパになります。」皆様、ソウルの今の姿です。 これだけではありません。「市長、地下鉄の駅で用意されている車椅子が故障しました」、「家の前の歩道ブロックが壊れて不便です。」、「生ゴミ箱から変な匂いがします。」私はこれら全ての市民の声を見ると直ちにソウル市の当該部署の職員に知らせます。市民の小言や苦言は近いうちに笑い声に返ってきます。 このようなメッセージもあります。「私、今ちょっと感動しちゃった。小学校前の電話ボックスが大変危険な状態のまま何年間放置されていたから、私が撮った写真をソウル市長に送って見たら約2週間ぶりに撤去されたの。まさか私の写真を見たかと思ったが、今日返事をもらったの!私の写真見たって!ウワー、私が世界を動かすなんて!市長、本当にありがとうございます。私の小さな意見がこのように市政に反映されるとは想像もしなかったです。まるで私が市長になったようです。」市民たちからこのようなメッセージをもらうたびに私はたとえ体と心は疲れているとしても「ソウル市長になってよかった」と思います。市民の幸せが私の幸せです。 ソウル市はこのように市民と疎通しながら「協力政治」と「革新」を活かして「ソウルの夢」を一つずつ実現しており、都市の問題を一つずつ解決しています。したがって私が口癖のように言っている「協力政治」と「革新」は、ソウルの夢を実現してくれる両翼になるという話は決して過言ではありません。 エネルギーと環境問題に積極的に対応する「原発1基削減」事業も市民たちと共に疎通して協力しながら実現した成果でした。2011年、日本の福島原発事故は安全で持続可能なエネルギーに対する関心を呼び起こし、地方で生産された電力がこなければ都市の機能が麻痺されるしかないソウルとしてはエネルギー政策について省察する契機となりました。 ソウル市は市民と共にエネルギー危機の克服について悩みました。どのようにすればエネルギーを節約することができるか、どのようにすれば化石燃料エネルギーでなく、環境に優しいエネルギーを使用できるかと、研究して討論して顔を合わせました。皆が不可能だと思っていた原子力発電所1基の発電量200万TOE削減を目標とした「原発1基削減」事業はそのように誕生しました。エネルギー生産、効率化、節約という3大分野を中心に、未来の世代に与えられる最高のプレゼントである「原発1基削減」は、不可能を可能にしようとする信頼と責任感が巻き起こした一大の事件でした。 市民たちは家庭と学校で太陽光の設置に積極的に参与して「太陽光発電所」作りに参加してくれました。エネルギー節約に対してインセンティブを支給する「エコマイレージ」は170万人が加入して家庭で、学校で、職場でエネルギー節約を生活化しました。私たちの未来世代である子供、青少年もエネルギー守護の天使となり、エネルギー節約の先頭に立ちました。地球が休めるように毎月22日、1時間ずつ「幸せな火をオフにする」運動にも多くの市民が参加してくれました。市民たちの認識が次第に変化し、参与と参加が拡大されました。「ちりも積もれば山となる」という言葉は次第に現実になってきました。 2014年6月、ついに市民たちの積極的な参与の結果、当初の計画より6ヶ月も早い時期に200万TOE節減という目標を達成しました。不可能に見えた夢を実現しようとする熱情がソウルをエネルギー自立都市への夢に一歩近づけてくれました。 世界中から賛辞が寄せられました。国際連合の公共行政賞、WGBC(World Green Building Council)気候変化リーダーシップ賞、世界自然基金(WWF)、C40-シーメンス都市気候リーダーシップアワード等がソウル市の「原発1基削減」事業に注目し、これを記念する賞を与えました。「原発1基削減」事業は地方自治体という限界にもかかわらず、制度の改善と独創的な事業によって地域エネルギー政策の成功的なモデルを提示したという評価を受けました。 ソウル市の「原発1基削減」事業は現在国内の自治体はもちろん、世界国際機構や様々な都市の学習対象となっています。ソウル市は今や「エネルギー所費の都市」から「エネルギー生産の都市」に転換するために「原発1基削減第2段階」事業を始めます。「原発1基削減第2段階」が成功すれば、ソウルの電力自立率は20%まで上り、400万TOEのエネルギーが節減され、1,000万トンの温室ガスが減ります。エネルギーと環境に対する大都市の責任はこれから我が社会を一層持続可能な未来への道に導いてくれます。同時に、次の世代から借りている地球を次の世代にこのまま譲る唯一の道になります。 これ以外にもソウル市は「町共同体」事業、「共有都市」事業、「都市再生」事業等、数多い政策を市民と共に疎通しながら展開しています。このような政策はソウルという大都市が直面している様々な問題を解決し、共に生きる都市、持続可能な未来のある都市への転換を導いてくれます。... 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