[ジャンジョレス社会的企業連携病院を視察] 皆様、お変わりなくお元気でお過ごしのことと思います。
今日の午後遅くに、7泊9日のヨーロッパ旅行を終えて帰って来ました。
出国した時よりずいぶん寒くなりましたが、それでもやっぱり私の国、私の故郷がいいですね。
海外でもインターネットは利用できましたが、気持ちに余裕がありませんでした。同行したヘラルド経済(韓国紙)のイ・ジンヨン記者が書いた「ワーカホリック(WORKAHOLIC/仕事中毒)の朴元淳市長、エッフェル塔はバスの中から見てください」という見出しの記事を、私の外国訪問の報告の代わりに掲載します。
11日、ソウル市長の朴元淳(パク・ウォンスン)氏と共にフランスパリ行きの飛行機に乗った。
7泊9日の日程でスペインのバルセロナ、イタリアのボローニャ、フランスのパリを歴訪。都市外交の強化、協同組合などの社会的経済モデル及びフランス・パリの都市再生政策及び環境配慮型政策をベンチマーキングするためだ。
飛行機に乗っている間、朴市長は一度も姿勢を崩すことがなかった。彼は自分の原稿を直したり、今回の訪問先について勉強したり、12時間という長い飛行時間を楽しんだ。パリのシャルル・ド・ゴール空港で飛行機を乗り換え、スペインのバルセロナへ移動、ホテルに着いたのは午後10時過ぎだった。12日の朝7時から朝食会に参加、その後はバルセロナに位置するエサデビジネススクールでの社会的企業支援政策に関するブリーフィング、FCバルセロナのホームスタジアム探訪、サグラダファミリア視察、世界的な建築家のガウディが1882年に設計して今も建築中の「聖家族贖罪教会」を訪問するなどハードスケージュールが続いた。朴市長は、合間をみてはスマートフォンで写真を撮ったり、手帳に細かくメモしたり、またソウルへ戻ってからやるべきことを指示したりした。
午後7時には「世界都市電子政府協議体(WeGO)」の晩餐会に参加し、会の雰囲気を主導した。13日午前8時30分バルセロナ市長のザビエル・トリアス氏と2都市間の貿易、投資、経済、観光、文化の交流に関する友好協力了解覚書(MOU)を締結。その後場所を移動し、9時にはWeGO総会の開幕式に参加して開会の辞を述べた。そして午後6時にイタリアのボローニャに向かって出発したが、ヨーロッパ経済危機によるスペインの労働組合の全面ストライキのために飛行機が大幅に遅れ、午後11時頃ようやくボローニャに着いた。小型飛行機の狭くて窮屈な中でも朴市長は再び資料を取り出して読んだり、日程を整理するなど時間を無駄にしないよう最善を尽くした。それだけでなく歩いて移動する時にも記者たちにいろいろ質問して意見を聞いたり、マスコミの協力が必要な部分を強調して頼んだりもした。
ボローニャでのスケジュールもハードだった。スペイン同様、イタリアもデモで殺伐としていた。学校に対する財政投資削減に反発する学生のデモ隊がボローニャの中心地を埋め尽くしていた。警察によって道路は通行止めとなり、歩いて移動するしかなかった。気分を害して当然な状況の中で、朴市長はかえって歩いて移動することを楽しんでいるように見えた。古色蒼然たるボローニャ市内を歩きながら、珍しい物があったり、参考になりそうなものがあれば、写真を撮ったり、メモしたりした。ボローニャで2泊した後、フランスのパリに移動するため空港へ向かった。空港はパリに向かう大勢の人々で混雑していた。並んで待っていた30分の間にも、朴市長は一行と話をしたり、指示したり、記者たちに対して今回の訪問の成果について語ったりした。
ソウル市長ならVIP客として、列に並んで待つことなく搭乗できるはずだ。しかし、朴市長は仁川(インチョン)空港出発後のすべての動線を随員そして記者団と一緒に動いている。3~4日過ぎた頃、随員や記者たちは睡眠不足でブリーフィングを聞きながら居眠りすることが多かった。しかし朴市長は違った。最後までしっかり質問していた。
16日は午前7時にスエズ環境グループのCEOとの朝食会、その後フランス社会連帯経済担当長官との面談、社会的経済分野のリーダーたちとの午餐会、都市地上型小型電車のトラムウェイに乗って運営会社のビオラCEOの現場でのブリーフィングを聞いた。トラムウェイを降りて都心を流れるセーヌ川沿いを歩きながら、漢江を市民と外国人観光客がもっと気軽に楽しめる場所にするための接近性の改善とイベントについて模索した。引き続きパリ市長と面談、都市博物館(アーセナル展示館)の視察などハードなスケージュールをこなした。夜にはフランスの社会的企業であるグループSOSの会長一行との晩餐会に参加、ソウルに社会的企業を定着させるための方案を模索した。
17日も朝からスケジュールが入っていた。ソウルだったらゆっくり休めるはずの土曜日だが、視察団は朝から忙しかった。ホームレス自立支援社会的企業であるエスパダを訪問、その後世界各国の難民が集まって形成されたベルビル(美しい村)の坂道を上った。朴市長はここで「ソウルにも中国などの東南アジアの人々が集まって形成された村がたくさんあるが、このような移住民が韓国社会に定着できるよう支援することが、他の先進国が経験した移住民の暴動などを予防することにつながる」と語った。さらに「アメリカやイギリスなどの先進国の人々には好意的でも東南アジアなどの開発途上国から移住してきた多文化家庭には排他的である。これは後に社会問題となり得るので事前に防ぐ必要がある」と述べた。特に帰国日の前日の午後7時から朴市長は、視察団と2時間にわたる討論を行い、ソウルへ戻ってから施行すべき事業を選定するなどの情熱をみせた。18日仁川空港行きの飛行機に乗る日にもハードなスケジュールは続いた。
このようなハードスケジュールが続いたため、随員や記者たちは時間さえあれば居眠りした。しかし朴市長は気にせず市民のことを思いながら忍耐した。朴市長の限りない情熱に拍手を送らざるを得ない。朴市長の仕事に対する情熱で、視察団一行は結局、パリの象徴であるエッフェル塔とルーブル博物館をバスの中から見るしかなかった。
[L USINE – 社会的企業連携コンベンションセンターのレストランで社会的企業リーダーとの懇談会]