1953年、朝鮮戦争休戦協定が締結し、ヨンサン(龍山)に米軍基地が設置されると、米軍を対象とした商圏が形成され始めた。商圏は「解放村」と呼ばれ、ノッサピョン(緑沙坪)駅北側のナムサン(南山)の麓にあった。
やがて1970年代に入り、その商圏が現在のイテウォンに移された。イテウォンは外国人街として定着し、ソウルの人気ショッピングスポットとなった。そして、思いがけない客が現れた。海外航空会社に勤めるスチュワーデスたちだった。
韓国を発着する国際線飛行機の増加に伴い、ソウルに数日間滞在するスチュワーデスたちはイテウォンでショッピングなどを楽しむようになった。最近では韓流スターたちも足を運んでいる。
1990年代に入り、中東やアフリカといった第三世界から渡ってきた外国人労働者の多くがイテウォンで働くようになった。
世界の縮小体「イテウォン」。肌の色も文化も全く違う人々が、ときには衝突し、ときには共存することで現在のイテウォンをもたらした。
人種と言語の数だけ様々な顔を持つイテウォン。その魅力に迫る。
現在のイテウォンをもたらした主役は、巨大なかせ糸のオブジェが置かれた衣料品店街だ。安い保税品や馴染みのブランドショップ、オーダーメードの洋服店・シューズ専門店など各種店舗が軒を連ねている。近隣のアンティーク家具通りとともにイテウォンを代表するショッピング街だ。
この街で販売されているハンドメイドの商品は、どれも熟練した職人の手によってつくられた作品で、独創性の高さが評価されている。
ハミルトンホテルの裏通りに入ると、美味しそうなにおいが漂ってくる。
インド料理店やブランチが目玉のアメリカンレストラン、タイ料理店、中国餃子専門店など、各国を代表する料理店が建ち並んでいる。
本場のレシピで現地の人がつくった料理を提供している店もあり、ソウルにいながら海外旅行気分を味わえる。
欧州の手づくりのビールの香りが漂う路地もある。多くの若者たちが訪れるキョンリダン通りだ。
「カンナム(江南)にはカロス(街路樹)通りがあり、カンブク(江北)にはキョンリダン通りがある」といわれるほど若者たちに人気だ。イテウォンからナムサントンネル方面に向かう右2車線道路の入口に国軍財政管理団がある。そこからハイアットホテルまでの700~800メートルの道がキョンリダン通りだ。国軍財政管理団にちなんで名づけられた。レストランやパブ、カフェが建ち並んでいる。
近年は周辺の路地にも店が増え、幅広い商圏が形成されている。
おしゃれなひげを生やしたアラブ人紳士たちがハラルフードを楽しむ坂道を登ると、チャドルやヒジャブを販売するムスリム用品店やモロッコパン専門店などが並ぶアラブ街が現れる。
高くそびえるイスラム中央聖院は、韓国でも珍しい建物だ。
イスラム中央聖院から路地裏に入ると、若者たちで賑わう広い階段が見えてくる。その階段の上には、個性的な手工芸品や服などを売るマーケット「ケダンジャン」がある。興味深いのは、ものを売買する行為がすべて階段の上で行われることだ。
週末の夜、イテウォンではとても不思議な風景を見ることができる。黄色人や白人、黒人など肌の色の違う若者たちが、華やかな装いで街を彩る。酒に酔って顔を赤く染めた人、ふらふらしてまっすぐ歩けない人もいる。
通りをさらに進んでいくと、どこからかノリの良い音楽が聞こえてくる。マルーン5を彷彿とさせるバンドの路上ライブだ。
さらに進んでいくと、若者たちで賑わうクラブが建ち並んでいる。イテウォンのクラブの歴史は1950年代にさかのぼる。当時、米軍のために開業したクラブハウスから米国の最新音楽が流れ、そのときからイテウォンのクラブは海外の最新音楽を韓国に紹介する窓口、音楽流通の拠点となった。
今もイテウォンは、昼は活気あふれる躍動的な街、夜は情熱的な街だ。