5月1日、労働者の日 出勤する朝、胸がいっぱいでした。毎日通る道が、新鮮に感じられました。 市庁へ仕事に赴く人々を見て、「この中で今日正規雇用者になった人は何人位いるだろう」 一人で想像してみました。
そして2カ月がすぎました。 非正規雇用から正規雇用へと変わったソウル市と傘下機関の1133人の方々がどのような生活をしているのか、知りたくなりました。満足しているのか、問題はないのか、気になりました。
そんな中、西部公園緑地事業所で働いているファン・スンボン氏の話を聞きました。
今年60歳になるファン氏は今年12月に定年退職します。
定年まであと6カ月です。
ファン氏は14歳の時、「ヨコ」として新社会人になったそうです。「ヨコ」とは、ニットを作る技術者を意味する言葉であり、日本語に由来する俗語です。彼らは70、80年代、韓国経済を支えていた繊維産業の立役者です。
貧困家庭で育ち、中学校も卒業できなかったファン氏は、自分より大きなミシンの前で徹夜して仕事したことも多々あったそうです。夜中の二時、三時まで夜勤していると、鼻血が出ることも幾度となくあったそうです。
しかし、その大変な時期を耐えることができたのは、「腕さえあれば、飢え死にはしない」という大人たちの言葉があったからです。貧乏で、教育もまともに受けていないファン氏を支えていたものはただ一つ、技術でした。
手に水ぶくれができ、腰が切れるような痛みを感じながらも、回っているミシンの音がとても心地よかったといいます。ニット一枚が飯の種になり、お金になり、夢となった時代しかし、その夢は長く続きませんでした。十年以上貯めたお金で小さなニット工場を作りましたが、信頼できる人生のパートナーだと信じていた繊維産業は、斜陽産業となってしまいました。倒産してわずかな財産もなくなり、日雇い労働者になりました。毎日の明け方、寄せ場に行ってみましたが、仕事にありつけない日もあり、真夏や真冬はまったく仕事のない日が続いたそうです。
そんな日常に疲れ切っていたある日、ファン氏はソウル市から非正規雇用者として雇われました。 西部公園で雑草を取り、花の種まきをし、木を育てる仕事。 人々が自分の育てた木々や花を見て幸せそうな微笑みを湛えていると、お金持ちになったように幸せでした。 しかし、心の一隅では、いつ解雇されるか分からないという不安がいつもありました。 「仕事がなくなったら、九十過ぎた母はどうなるのだろう」 一人で老母の面倒を見ているファン氏はいつも不安でした。
そして5年目にして西部公園の正規雇用者となりました。自分が正規雇用者になるとは、しかも公務員になれるとは夢にも思わなかったと涙目になりました。 60年生きてきて、はじめての正規雇用-もうすぐ定年退職しますが、給料も少し上がって、ボーナスも出るというから、90歳を過ぎた老母と一緒に住んでいる狭い賃貸から新しい場所に移るため、積み立ても始めているそうです。
生まれて初めて、たった7ヶ月の正規雇用ではありますが、それでも幸せだと語るファン氏!
おめでとうございます。 そして、正規雇用への転換があまりにも遅かったこと、心からお詫び申し上げます。