韓国にとってモンゴルとネパールは近くにあっても遠く感じる国だ。広大な草原のジンギスカンの子孫と、「世界の屋根」と呼ばれるエベレストの国の人々が、ソウルに彼ら独自の街を形成した。
ソウルの中の遊牧民の街、エベレストの雰囲気が漂うネパールの街を覗いてみよう。
草原の国「モンゴル」の飲食店、カフェ、食料品店、美容室、運輸業者、海外送金業者が建ち並ぶ街がある。チュン(中)区クァンヒドンだ。週末になると、自国の料理と生活必需品を買い求めに来たモンゴル人でごった返す。
この街では、ソウルにいながらモンゴルの雰囲気を感じることができる。
1990年の韓ソ国交正常化に伴い、ソ連の貿易商たちは安い服を求めてトンデムン(東大門)に殺到した。そして近くに多くの宿泊施設があったクァンヒドンに拠点を置き、やがてキリル文字を使用するカザフスタン人、ウズベキスタン人、モンゴル人が暮らすようになった。
その後、ロシア人が去ったこの場所にモンゴル人が入って来た。多くのモンゴル人が暮らす10階建てのニュー・クムホ・タワーは「モンゴルタワー」と呼ばれている。
この街に最初に定着したのはモンゴル大使の家族だ。携帯電話販売店を構え、韓国での生活に慣れていないモンゴル人を支援すると、多くのモンゴル人が集まるようになった。
ソウルはモンゴルの首都ウランバートルに次いでモンゴル人が多いという。遊牧民であるモンゴル人が海外の都市に定住するのは容易なことではない。それでもジンギスカンの子孫らしく、モンゴル人たちは慣れない街に適応しながら自分たちの文化を守り続けている。
ナマステやヒマラヤン、エベレスト、ヤムナラなど、ネパール固有の飲食文化を花咲かせたのはチョンノ(鐘路)区チャンシンドンだ。
シェフの多くが香辛料を粉にした調味料「マサラ」を使用してネパールの味を引き出している。
ネパール人が本格的に韓国を訪れるようになったのは1990年代からだ。その数は急増し、現在では約3千人に上る。
週末になると、多くのネパール人がトンデムン(東大門)駅3番出口後方のチャンシンドンに集まってくる。この街の装身具輸入業者と小規模の縫製工場に多くのネパール人が就職することで、ネパール人が集まる場所となった。しかし、縫製産業が衰退すると、多くのネパール人が職場を求めてこの街から去っていった。
それでも、週末にはこの街に集まってくる。小さな縫製工場と皮革卸売業者、古い住宅と宿屋の間に、この街で暮らすネパール人の姿が見られる。