飲み過ぎた翌日、冷たい風まで吹くと思い出すのは熱いヘジャンクク(酔い覚ましスープ)。ヘジャンククは韓国人と切り離せない料理だ。辛いスープにたっぷり入った肉、シレギ(干した葉っぱ)は韓国人に愛され、チョンジンドンで食堂街を形成してきた。
韓国人にとっても「チョンジンドン・ヘジャンクク」は格別である。
韓国人が外食として楽しむ最も韓国的な料理、ヘジャンククとポサムの街に迫る。
朝鮮時代にチョンジンドン付近には木材市場があった。100里(40km)も離れたところで寒風に立ち向かい木を切ってきた樵には、疲れた体と心を温めてくれる憩いの場が必要だった。市場に到着する頃には体力がすでに無くなり、お腹いっぱい食べられる料理を探し求めた。
樵に必要だったのは、食べやすくボリュームたっぷりのヘジャンククだった。ジャガイモ、豆もやしを入れてぐつぐつ煮たクッパにマッコリや濁酒を飲むのは至福の瞬間だった。
歳月が流れ、チョンジンドンにクッパ屋ができた。ここに初めてオープンした「ピョンファグァン(平和館)」というクッパ屋は、樵はもちろん商人たちでいつも賑わっていた。ヘジャンクク通りは現在のチョンノ(鐘路)区庁の向かいにある。ここにヘジャンクク屋が定着し始めたのは1930年代のことである。
木材市場に木を売りに来た人々のためにスルクク(酔い覚ましスープ)を売る出店ができた。当時は牛骨スープに白菜、豆もやし、ジャガイモを入れて味噌を溶いた香ばしいスープとご飯を売っていたが、朝鮮戦争以来、ソンジ(牛血)や牛ミノのような内臓を入れたヘジャンククに発展した。2000年代にもチョンジンドン全域にヘジャンクク屋があったが、再開発が続き、現在は一部の地域だけが昔の姿を維持している。
チョンジンドンのソンジ・ヘジャンクク(牛血入り酔い覚ましスープ)は、澄んだスープが特徴である。濃厚な牛骨スープに在来式味噌を少し入れ、肉を加えて再び煮込み、ここにソンジとシレギを入れてぐつぐつ煮込む。
ピリ辛の味が良ければ、用意されたコチュジャンや唐辛子粉などを入れる。惣菜はカクトゥギ程度だが、それだけで十分である。ソンジを基本とするチョンジンドンのヘジャンククは、全国のソンジ・ヘジャンククに大きな影響を及ぼした。
映画のメッカ、チョンノ3街には恋人達のお腹を満たす「特別メニュー」がある。
2時間近い映画観覧に気力を使い果たした恋人達にはポサムが最高の料理だった。たっぷりの肉とカキ、キムチの組み合わせは酒の肴にも食事にもぴったり。専門通りも形成された。
チョンノ3街ポサム通りは、住所上はスピョロ20ギルである。ソウル劇場の隣りの幅3メートル、長さ約150メートルの道である。そのうちポサム屋は100メートル区間に軒を並べている。
薄暗い通りに沿って数歩行くと、赤くて白いポサム屋の看板が目に入る。通りのあちこちに豚肉を茹でる水蒸気がゆらゆらと上がっている。
チョンノ3街は、以前から劇場十字路として有名だった。タンソンサ(団成社)やソウル劇場、ピカデリー劇場が十字路に並んでいた。映画の後、空腹を満たし、酒を飲もうと人たちはチョンノ3街の裏通りに集まった。友人と楽しむソジュ(焼酎)とポサムの組み合わせは最高だった。
メインメニューはやはりポサム。その中でもクル・ポサム(牡蛎のポッサム)である。お肉とキムチ、大根とカキが一つの皿にたっぷり出てくる。新鮮なカキと温かく柔らかい肉、ピリ辛いポサムキムチまで、酒の肴にもぴったりだ。
ポサム通りに初めて来た人は、そのボリュームに驚く。クル・ポサムを注文すると、イカ炒めやカムジャタン、茶碗蒸しが一緒に出る。サービスのつまみだけでもお腹がいっぱいになる。普通のポサム屋はキムチをおかわりすると追加料金を払わないといけないが、ここは全て無料である。
味とサービスが充実しているため、長い間人々が足を運び続けている。夕方になると常に人で賑わう。特に、会社帰りのサラリーマンがほとんどだ。
テレビでも多く紹介されている。ポサム通りは2012年に大火災があったが、復興を経て、さらに綺麗に整備されている。ポサムは朝鮮時代に始まった。兩班(ヤンバン、最上位身分)の家ではキムチづくりのため苦労した奴婢のために、豚を一匹料理してキムチ和えと一緒にたっぷり食べさせた。
ポサムは韓国人だけが好きな料理ではない。外国人を対象にした最近の「ソウルのおいしい食べ物」調査で、堂々と8位に上がっている。