1896年春、西大門の外の慕華館跡(現在の独立門付近)でアメリカ人らが軍人チームと民間人チームに分かれ野球の試合を行った。韓国初の英字新聞「インデペンデント紙(The Independent)」は、1896年4月28日を韓国で初めて野球公式戦が開催された日と記録している。このように韓国に伝わった野球はその後国民的スポーツとして一気に広まり、ソウルでは学校や団体を中心に一定規模の試合が行われるほど急速に普及した。
特に、解放後1958年10月28日に、メジャーリーグの名門球団セントルイス・カージナルスが主力メンバーを交えたまま韓国の事実上の国家代表チームである「ソウル軍」と試合を行い、当時の初代大統領イ・スンマン元大統領が始球式を務めた。
ソウル歴史編纂院(キム・ウチョル院長)は、1876年の開港以降現在に至るまでのソウルの野球の歴史を、わかりやすく面白く綴った「ソウルの野球」を16日(月)発刊すると発表した。この本は、ソウルの文化をわかりやすく伝える「ソウル文化マダン」シリーズの第13巻で、野球に関する豊富な知識をもとに多くの本を書いたことで有名なキム・ウンシクスポーツコラムニストが執筆した。(213ページ)
「ソウルの野球」は全4章(①開港期のソウルの野球、②日本統治時代のソウルの野球、③解放後のソウルの野球、④蚕室野球場の開場とプロ野球)で構成されており、様々な参考写真も収録されている。
本によると、当時、メジャーリーグの強豪セントルイス・カージナルスは「ソウル軍」と親善試合を行うためにソウル野球場に現れた。
日本統治時代、米国のプロ野球選手がソウルを訪問し龍山満鉄球場で朝鮮の代表チームと試合を行ったが、彼らは決してトップレベルのプロチームとはいえなかった。1958年10月28日、メジャーリーグ選りすぐりの選手からなるセントルイス・カージナルスが主力メンバーを交えたまま、事実上韓国のオールスターチームともいえる「ソウル軍」と試合を繰り広げた。この日、開幕前にイ・スンマン元大統領が始球式で投球したことが、韓国の大統領による始球式の歴史の始まりでもあった。この日の試合は0対3でセントルイス・カージナルスが勝利したが、「ソウル軍」を率いたエースキム・ヤンジュンが、伝説ともいえる3塁手のケン・ボイヤーと、メジャーリーグを代表するスタープレイヤー、スタン・ミュージアルを三振させる快挙を成し遂げた一戦でもあった。
その他にも、慕華館、訓練院、仁寺洞で始まったソウルの野球の紀元や、日本統治時代の学生野球時代、ホームラン王イ・ヨンミン、解放後の靑龍旗と黄金獅子旗、蚕室野球場の開場とプロ野球の誕生などについても触れている。
開港後、アメリカ人に野球を教わったソウル野球チームは、日本の球団と頻繁に対決を行い、確実に実力をつけていった。解放後、ソウルの野球は「朝米親善野球大会」を皮切りに、青龍旗大会の紀元となる「全国中等学校野球選手権大会」、黄金獅子旗の紀元となる「全国地区代表中等学校野球争覇戦」など様々な大会を背景に歴史を築いてきた。朝鮮戦争により野球ブームは一時下火になったが、陸軍、空軍、海軍の球団を中心に野球が再開され、ソウルの高校野球は1960年代まで全盛期を飾り、1982年3月サムソン・ライオンズとMBC青龍の開幕式を皮切りに、本格的なプロ野球時代が幕を開けることになる。
「ソウルの野球」はソウル市内の図書館のほか、ソウル歴史編纂院のホームページ(http://history.seoul.go.kr/)ではe-bookでの閲覧が可能、市民聴のソウル本屋にて購入(10,000ウォン)することもできる。
一方、ソウル歴史編纂院は、1949年に設置された「ソウル特別市時事編纂委員会」の行政および研究機能を継承し発展させ、2015年に発足したソウル市所属の機関で、ソウル市の歴史に関する資料の収集、調査と研究、編纂事業を推進している。
『ソウルの野球(ソウル文化マダン第13巻)』表紙 |
---|
セントルイス・カージナルス訪韓競技開幕 前に始球式を行ったイ・スンマン元大統領 |
第1回全朝鮮野球大会で 始球式を務めたイ・サンジェ |
---|---|