「その国の過去を知りたければ博物館に行け」という言葉がある。悠久の歴史を持つソウルは、市内各地にいろいろな博物館がある。それらは私たちにソウルの香りを伝えてくれる。
ソウル都心を囲む城郭「ハニャン都城 」。1396年の築城以来ずっとソウルの街を見守ってきたハニャン都城の現在と過去を知るには、ハニャン都城博物館へ行くのが一番。フンインジムン(興仁之門(トンデムン))からトンデムン(東大門)城郭公園へと向かうハニャン都城の探訪路を歩いていくとハニャン都城博物館が見えてくる。城壁を背にして階段を上り、3階の展示空間に入ると、ハニャン都城の誕生と受難、復元の歴史に関する展示が行われている。
ウンピョン・ニュータウン開発に関する内容とともに、様々な「人文・歴史遺物」と昔ながらの家屋「韓屋」に関する文化コンテンツを保存・展示するウンピョン歴史韓屋博物館もソウルにおける大きな見どころの一つ。この博物館の主要施設である常設展示室は、ウンピョンの歴史に関する内容とニュータウンで発掘された遺物が展示されているウンピョン歴史室と、韓屋の実物や韓屋の建築過程、韓屋の科学性・環境性などについて展示されている韓屋展示室で構成されている。
韓国の伝統家屋が韓屋なら、伝統医学は韓方である。チュンウォンダン韓方博物館には、1847年の創業から7代目の現在まで、韓方を家業として受け継いできた歴史がある。韓方に関する様々な所蔵品を保有するチュンウォンダン韓方博物館は、2008年のオープン以来、様々な展示を通して韓方の過去、現在、未来を来場客と共有しようと取り組んできた。この博物館は、韓方だけでなく、ソウルの過去、現在、未来についても紹介している。
1949年6月26日、「キョンギョジャン」で3発の銃声が響き渡った。そして、大韓民国史における偉大な人物が倒れた。キョンギョジャンは、大韓民国臨時政府の活動拠点であり、ペッポム(白凡)キム・グ(金九)先生が死去した歴史の現場でもある。
「キム・グ」は韓国の政治家・独立運動家として大韓民国臨時政府組織に参加し、新民会や韓人愛国団などでも精力的に活動した。大韓民国臨時政府主席に選任され、民族団結を強調し、ひたすた自主統一の道を歩んだ。息を引き取る瞬間まで韓国のために尽くした彼は、韓国民の永遠の民族指導者として記憶されている。
ソウル市は、原型を失ってしまったキョンギョジャンを復元した。韓国政府のこれまでの歴史が一目でわかるよう、内部に展示空間を造成した。
日本による植民統治期に鉱業で莫大な富を蓄えたチェ・チャンハクによって1938年に建設されたキョンギョジャンは、1945年に大韓民国臨時政府が本国に戻ると、臨時政府の活動拠点として、またキム・グ主席ら臨時政府要人の宿舎として使用された。1949年にキム・グ主席がここで死去した後は、中華民国大使公邸やベトナム大使館などとして使用され、1967年からは内外部が改修され医療施設として使用された。このときに原型が失われたが、後に復元され、現在はキョンギョジャンで大韓民国臨時政府が歩んできた道のりを遺物や映像、情報検索コーナーなど様々なコンテンツで目にすることができる。
韓国ならではの情趣が漂うカフェ民画博物館は、様々な民画やお札が展示されている。それを通じ庶民の日常的な暮らしや素朴な夢を垣間見ることができる。伝統韓屋展示室で、かつての人々の暮らしの面影や痕跡を探すのも楽しめる。
歴史的・建築史的に意味のある「ソウル市庁ウルチロ(乙支路)別館庁舎」の4階建ての建物にアジア最高の蝋人形博物館「ソウル・グレヴァン・ミュージアム」がオープンした。中国や日本、タイ、台湾などアジア人観光客の観光名所となったこのミュージアムは、アジアでは初めての蝋人形博物館である。
フロアには、韓流を代表する俳優や歌手、スポーツ選手らの蝋人形が展示されている。
韓国人もあまり聞き慣れない「セッテ」「チップル」という言葉。「セッテ」は鍵を意味し、様々な鍵を通じて鍵の科学性と美しさを紹介するのがソウルにあるセッテ博物館だ。
「チップル」は藁と草のことで、人類が誕生したときから使用されてきた最も古く身近な材料だ。かつては特別な道具がなくても藁と草さえあれば家や服や農機具をつくったり、ものを縛って運んだりすることができた。チップル生活史博物館には、藁と草でつくられた様々な作品が展示されている。
他にも、ソウル各地にはソウルらしさが漂う様々な博物館がある。それぞれの博物館で、それぞれ違う雰囲気を吟味すれば、ソウルがもっと身近に感じられるかもしれない。