韓国から見て地球の反対側に位置する南米諸国は、コーヒー、サンバ、サルサダンス、ワイン、サッカーで有名だ。
韓国におけるアフリカ文化は、1990年代に出稼ぎに来たアフリカ人によって形成された。オセアニアは朝鮮戦争で深い絆を結び、少しずつだが着実に友好を深めてきた。
それぞれ特徴の違う大陸の国々の雰囲気をソウルにいながら感じることができる。
韓国から地球の反対側に位置する南米大陸までは飛行機で30時間もかかる。
そんな南米諸国の文化をソウルにいながら体験できる場所が高い関心を集めている。
ブラジルに約6万人、アルゼンチンに約2万6千人と、南米で暮らす韓国人は比較的多いが、韓国で暮らす南米諸国の人はそれほど多くない。
南米文化を楽しめる場所がホンデイックにあり、情熱的な南米文化に魅了された韓国人が多く集まる。その代表が、地下鉄2号線ホンデイック駅8番出口から徒歩5分の距離にあるラテンバーの「サボールラティーノ」と「マコンド」だ。
南米文化好きの人は、ラテンダンスを習ったり、南米料理を味わったり、世界3大ティーの一つ「マテ茶」をたしなんだりと、南米文化を満喫している。ソウルの南米文化は、情熱的に熱く燃え上がっている。
イテウォン(梨泰院)駅3番出口からアンティーク家具通りへ向かう道を歩いていると、レゲエヘアとヒップホップスタイルをしたアフリカ人が目につく。ここは「アフリカ通り」または「ナイジェリア通り」と呼ばれるイファ市場通りだ。
2000年代初頭、トンデムン(東大門)市場とナムデムン(南大門)市場で生地などを仕入れ、自国で販売していたナイジェリア人たちがこの街に定着するようになった。当時はこの周辺で暮らすアフリカ国籍の人は700人を超えたが、イテウォンの商店街と住宅の賃貸料が値上がりし、多くの人がヘバン(解放)村やソウル郊外へと移っていった。
イファ市場通りの狭い路地には、数は少ないが、教会や聖堂、店、美容室などアフリカ人のための施設が建ち並ぶ。古い建物の店と急な坂道に沿って歩いていると、アフリカ人が集まって話をしている。ソウルで見られるアフリカの姿だ。
超売れっ子芸人のサム・ハミントンさんや、バリスタ世界チャンピオンで自身の名前をブランドに掲げるコーヒー事業家のポール・バセットさんが生まれ育ったオーストラリアは、オセアニアの中心国家だ。
韓国人には、カンガルーやコアラが草原を走り回り、羊や牛が草を食べるのどかな国というイメージがある。
人生の飛躍を目指し、語学留学やワーキングホリデー、移住などでオセアニアに渡る韓国の若者が多い。オーストラリアには約4万人にもなる韓国人コミュニティがあり、ニュージーランドには約3万2千人の韓国人が住んでいる。
一方、韓国に在留または往来するオセアニア人も徐々に増加する傾向にある。
数十年前に韓国の地を踏んだオセアニア人たちがいた。1950年に勃発した朝鮮戦争で彼らは韓国の地を踏み、そして多くの人がこの地で命を落とした。
ヨンサン戦争記念館は、毎年4月25日をアンザックデー(ANZAK DAY)」と定め、アンザックの軍人を追悼する式典を開いている。「アンザック」とは、第1次世界大戦中に結成されたオーストラリア及びニュージーランド連合軍のことだ。その日は世界各地の戦場で犠牲になったオセアニア人に敬意を表し、追悼する日だ。
朝鮮戦争参戦兵士のジョン・シモンズさんは、「また65年前に戻ったとしても私は韓国のために戦うだろう。韓国は4月の英連邦参戦記念日と朝鮮戦争記念日の6月25日のたびに感謝の意を伝えるなど、朝鮮戦争休戦協定締結後の韓国人の態度に感動している」と語る。
戦争によって結ばれた韓国とオセアニアの絆。悲しむのではなく、温かい心を育みながら友情を分かち合っている。