「ウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck)教授追悼行事」追悼の辞
日付 2015年3月17日 | 場所 プレスセンター国際会議場
ウルリッヒ・ベック先生、こんなにも早くこの世を去っていかれるとは、実に残念でなりません。ちょうど勉強を始めようとするときに師匠を失ったような気持ちで、とても寂しいです。未だに先生のはきはきとした声が聞こえてくるようです。
昨年夏、ソウル市の招待でお見えになり、「危険社会(リスク社会)からの挑戦と、ソウルの進むべき道」について論議されましたが、実に時宜にかなった訪問でした。ベック先生は、「セウォル号沈没事故」によって韓国国民が深く悲しんでいたあの時、来られました。当時私たちはベック先生が提唱した「危険社会」を、全身で感じていました。災害が後を絶たない、後期近代の時代的性格について説明してくださった時、学者でもない私も、すぐに理解することができました。
先生は不可解な「セウォル号沈没事故」を、人々が時代を学習して見直していくきっかけにしよう、とおっしゃいました。近代化が生んだ数々の副作用がますます拡大されることを予想して省察しながら、「破局的な状況」を「解放的な破局」にしなければならないと強調しました。先生が投げかけたその希望のメッセージは、人類の歴史に対する信頼と人間に対する愛を持たなくては、決して伝えられない言葉であることをよく知っております。
ベック先生は特に、「圧縮された近代化」過程を経て、急に豊かになった東アジアの国々に大きなご関心を持っていました。振り返って見れば、この半世紀の間、韓国は世界のどこでも見られない、輝かしい経済成長を遂げてきました。産業化と政治民主化を成し遂げ、「圧縮された近代化」に成功し、「ハンガン(漢江)の奇跡」を通じて国民1人あたりの所得が3万ドルに達する社会になりました。
しかし、その「成功」は「危険」のもう一つの名前だという重要な事実を、先生は教えてくださいました。近代国家が成功した歴史の裏には、数多くの危険も潜んでいるというお話は、大きな共鳴を呼びました。
「危険社会からの挑戦と、ソウルの進むべき道」というテーマで話を交わすうちに、ベック先生は何度も「これから世界的な問題を解決できる主役は、グローバル都市であり、その過程でソウルが重要な役割をやりこなすことができる」とおっしゃいました。危険社会へ急激に移動した東アジアを懸念しながら、グローバル都市としてソウルが成し遂げるべき役割について、言いたかったのでしょう。
折から「セウォル号沈没事故」に遭って、「圧縮された近代化」とスピード至上主義から脱しなければならないと、全国民が覚醒と模索をしていたところでした。ベック先生は、私たちに「再帰的近代化(reflexive Modernization)」と「文明的脱皮」という話題を投げかけ、危険社会に対する国際比較研究と、ソウルプロジェクトを共同で推進するとお約束しました。
先生がソウルを発った後も、大小の災難は続きました。そのたびに、「危険社会」に対する先生の講義を思い浮かべ、先生のお言葉通りグローバル都市としてのソウルが、世界とアジア都市の問題解決に向けた様々な転換への試みに拍車をかけました。「原発一基削減運動」を持続的に展開していますし、信頼と省察を基にした「村共同体運動」を強化して、共有と協力の社会を作りあげるための努力を広げています。何よりも、先生が強調していた市民と疎通して協力する協治の市政、省察を通じた革新の市政も、揺らぐことなく広げています。
ウルリッヒ・ベック先生、「カタルシス的学習を通じた脱皮」を呼びかけた先生の教えは、もう遺志になってしまいました。先生の見果てぬ夢は、生き残った私たちの宿題として残りました。省察的な市民意識、リスクを増幅しない生き方、そして問題解決に向けて楽しく膝を突き合わせる協治の市政が、ただの修辞的表現ではなく、私たち人生を導く、力を持って輝く言葉になるよう、努力してまいります。
グローバル都市ソウルが、どの都市よりも敏感に危機を察知し、解決できる可能性を持っているという先生のお話。そのお言葉を胸に刻んで、ソウルが東アジアのハブとなるよう、市民とともに持続可能な暮らしのための転換と連帯を成し遂げていきます。先生の夢を、私たちの夢にしていくことをお約束します。心からウルリッヒ・ベック先生のご冥福をお祈りいたします。