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[2015] 市長挨拶

  • 新しい歴史、新しい未来を共に開いて行きましょう

  • [2015] 市長挨拶 SMG 1,787

    早稲田大学講演
    日付 2015年2月1日 場所 早稲田大学

    こんにちは。皆様、お会いすることができて嬉しいです。ソウル特別市長のパク・ウォンスンと申します。講演に先立ちまして、まずISによって犠牲となった湯川遙菜氏と後藤健二氏のご冥福をお祈りいたします。日本国民皆様の衝撃と苦痛、悲しみを共にすると同時に、深い慰労を申し上げます。私は今回「都市安全」をテーマとして日本を訪問しましたが、対テロ対策についても都市間に共助し、協力して市民たちの安全を強固に守ることができるように努力していきます。

    光復と戦後70周年、韓日国交正常化50周年となる2015年に初めての海外歴訪訪問地として日本に来ることができて非常に意味深いと思っております。何よりも日本最高の名門大学である早稲田大学の学生たちと東京の市民たちの前に立つことができてとっても嬉しく、また光栄に思っております。

    早稲田大学は日本の伝統ある名門私学です。海部俊樹元総理、小淵惠三元総理、森喜朗元総理をはじめ、7人の総理を輩出し、数多い企業の最高経営者はもろん、韓国にも多くのファンがいる「ノルウェーの森」の作家、村上春樹等を生んだ名実ともに政治と経済、学問と知性の象牙の塔です。

    私も過去早稲田大学を見学したことがあります。2000年9月から11月まで3か月間、日本の市民社会を見聞する機会がありましたが、当時早稲田大学は最も印象深い場所の一つでした。私は早稲田大学の長い歴史と由緒深い学問的な伝統が与えてくれる学風と気品に大きな印象を受け、500万巻余りに至る書物を所蔵する図書館の威厳に驚きました。当時韓国では市民運動家としての道を歩んでいた私は、国と国境を越え、普遍的な価値と規範を追求する市民運動家の観点から日本と日本の市民社会を学ぶために日本の隅々までを注意深く観察しました。当時お会いすることができた日本と日本人たちに対する所感、日本の市民社会をインタビュー調査した結果は韓国と日本で本として出版されました。

    日本の様々な政治家と市民団体の活動家たち、そして市民たちから受けた印象を一言で言えば、真剣さとそれが与えてくれる感動でした。私が日本の社会で発見したのは生きている地域社会と地域運動であり、市民一人一人の良心と努力、献身が集まって西洋社会の法律に基づいた公共社会とは異なる堅固な共同体をなしていること、個人と集団の誠実性に基づいた伝統と協同の力が生きているということでした。

    特に、徹底的に地方分権を基に小さなことから大きなことへと変化を導く日本の市民社会の活動と力はその後私の市民社会運動にも大きな霊感を与えてくれました。

    日本で最も頻繁に使う言葉の中では「町づくり」という言葉がありますね?健康に生きている共同体、活力のある地域社会を作るための「町づくり」は本当にうらやましくなるような対象でした。

    皆様、私は韓国の地方自治体の長としては珍しく日本のことをよく知っている市長です。日本を頻繁に訪問して、日本全国を回り取材した経験があるだけに日本のことをよく知っています。あの絵をご覧になればわかると思いますが、ほぼ日本全国を回ったとしても過言ではありませんね?

    私は今も日本を訪れる時はまるでソウルのある町から他の町へと移動する「市内バス」に乗ったように気軽に来ています。ソウルから東京までが2時間しかかからないから韓国や日本で国内を移動するよりもはるかに近いでしょう。韓国と日本、ソウルと東京は時間的にも空間的にもこれほど密接な関係にあります。もちろん情緒的にもそうですね?そうでしょうね?

    日本では「遠 くの親戚より近くの他人」ということわざがありますね?韓国でも同じように「隣は親戚」ということわざがあります。韓国と日本は本当に近い隣国という意味です。

    しかし、これほど近いだけに愛憎の関係もありました。歴史的な悲劇があった時期もあり、直視しなければならない過去と、共に解決しなければならない過去史も厳存しています。

    しかし、韓国と日本はまた1,500年余り以上の歳月の間、共に交流して協力してきた歴史と様々な思想と文物を伝播、伝授しながら共に互いを学んできた共存の歴史があります。2002年の韓日ワールドカップも私たちは共に成功的に開催することができました。

    同じような顔をしており、生活やシステム、法律も似ています。世界の人々は韓国人と日本人を区別することが難しいようです。同じような問題も抱えています。高齢化、低出産、青年失業、都市再生、エネルギー問題等は韓国と日本が共に抱えている問題でありながら、共に克服しなければならない懸案です。

    私は全地球が運命共同体になった21世紀に、似たようなものが多い韓国と日本が開かれた心を持って共に協力し、共に力を合わせれば、必ず新しい歴史を約し、新しい未来を開いて行けると思っております。

    持続可能な未来への道、エネルギーと環境への道、共通の都市問題を解決し、未来の食材を準備する道へと共に顔を合わせて、共に力を合わせれば、新しい歴史と新しい未来への道は私たちの前に大きく開きます。その出発点が「都市外交」です。

    21世紀はローカル・トゥ・ローカル、ピープル・トゥ・ピープルの時代です。国家を超える小さな実践が集まれば国家が解決できなかった問題、外交で乗り越えることができなかった問題を解決する糸口を探ることができます。

    去年7月に行われた舛添要一東京都知事のソウル訪問は、国家間都市外交の新しい扉を開いた象徴的な訪韓でした。韓国の言論も舛添知事の訪韓を大きく取り上げる等、大きな関心を示しました。さらに舛添知事の訪韓はその象徴制を超え、ソウルと東京間の実質的な交流事業の増加と関係増進に繋がりました。

    都市の安全や災難救助の活動を共にして、観光・文化分野の交流・協力を積極的に展開して行き、大気質の改善と気候環境に共同対応する等、過去どの時期よりも積極的で活発な疎通と交流が行われています。

    このように排他的な国家利益の追求を超えた都市と都市、市民と市民間による多層的で中層的な連帯と協力は、結局、国家間の葛藤と問題を解決していく出発点になります。

    このためには、何よりも互いの「疎通」が重要です。私はアリストテレスが言った「人間は社会的な動物である」という言葉は二つの意味を持っていると思っております。人間は疎通する存在であり、協力する存在だという意味でしょう。「私たちは協力するために生まれついたのであって、たとえば両足や、両手の場合と同様である(マルクス・アウレリウス)」の言葉もあるように、人間は確かに疎通して、協力する社会的な存在です。したがって私は本日の講演のテーマである「疎通の力」、ソウル市の新しい「疎通市政と都市外交」を通じて21世紀都市の時代を生きている私たちがどのように都市問題を解決していくか、なぜ疎通が重要で協力が重要か、疎通と協力がどのような結果をもたらすかについて、私が歩んできた生活の道とソウル市の政策事例等を基に申し上げようとします。それと同時に、ゴローバル時代の都市外交の方向と韓日間の都市外交の新しい模索について共に論議して討論する時間も持つようにします。

    皆様、今世界は非常に速い速度で「都市化」が進んでいます。国際連合によると、今日世界人口の半分が都市に居住しており、2050年になるとこの数字が70%に迫ると予測されます。また2020年まで人口1,000万以上の大都市が新しく12都市生まれると見られています。

    人々はより良い雇用、より良い生活環境を探すために都市に集まります。多くの人々が都市へ移住したため、都市は創意性、開発、革新の強力なハブに変貌し、人類の最も偉大な発明は都市を中心になされるようになりました。

    都市の経済的な成功と豊かさの裏側には貧困、公害、環境、エネルギー、住居、交通、犯罪、雇用等のような様々な難題が隠されています。私たちが今日直面している多くのグローバル問題が実は都市から始まりました。そのため都市は変化と革新の主役にならなければなりません。

    人口一千万の大都市であるソウルも都市化の問題を抱えています。ご存知のように、韓国は世界的にも前例のないほど速い高速成長、圧縮的な成長を実現しました。産業化と民主化という近代化の業績を短期間に達成し、「ハンガン(漢江)の軌跡」を作りました。その中心には韓国の首都ソウルがありました。

    ソウルは1950年の朝鮮戦争直後としても最悪に近い環境に置かれていました。道路、上下水道は全然足りなく、非衛生的で伝染病まで猖獗を極めていました。当時、一人当たりのGNPは82ドル程度で失業率は非常に高かったです。そのようなソウルが約30年で世界的な水準の都市に成長しました。「ソウル市政10カ年計画」、「ソウル都市基本計画」等、官と専門家が主導する推進システムによってソウルは速くて効率的な都市化を達成し、インフラの構築と都市拡張に成功しました。

    しかし、高速成長という輝く成果の裏側には副作用や葛藤等の影がありました。地域不均衡と階層間の葛藤、都市の乱開発と環境汚染等は無視できない、黙認できない眼前の懸案として登場しました。

    また、安全、福祉、教育、保育、失業、格差社会、エネルギー、自殺、超高齢化、低出産、犯罪等、多くの問題が山積しています。それではソウルはこのような問題をどのように解決しているでしょうか。

    3年前、ソウル市長に就任した私は「人と関連する全ての問題は人だけが解決できる」という話のように、結局私たちの全ての問題は私たち皆が集まって共に方法を探し、解決して行かなければならないと思いますた。

    したがって私はソウル市長就任の弁として「市民の皆様が市長です」という旗幟を揚げ、「市民の生活を変える市長になる」と宣言しました。私はこれを原則として市民と共に協力政治を実現し、ソウルの市政を新く革新しています。ソウル市の力だけでなく、市民・専門家・企業等、民・官・企業が疎通、参与、ガバナンスを通じて顔を合わせて、共に問題を解決しています。

    「革新」にも拍車をかけました。私はソウル市長に就任するとすぐ韓国の地方政府としては初めて「ソウル革新企画館」を新設して行政革新を図り、「葛藤調整官」という職位を作って一千万市民の理解と葛藤を最小化するために努力しました。 行政革新の核心は断然、「市民の皆様が市長です」というモットーを実現することでした。したがってソウル市の全ての革新は結局、市民と共に夢を見、共に作り、共に享受するソウル、共に幸せな生活の特別市を作ろうとした道でした。このような観点からソウル市は根本的な行政のパラダイスを変えています。

    重たい官僚主義の服を脱いて、テーブルの上で想像するだけの卓上行政から脱皮し、市民中心の市政、市民の皆様が市長である市政、現場主義の市政を展開しています。これがいわゆる「ウォンスン氏スタイル」と呼ばれるソウル市の疎通行政です。それではソウル市の疎通行政はどのように展開されているでしょうか?

    疎通に成功するためにはまずよく聞かなければなりません。したがってソウル市は官庁の「庁」の字でなく、聞くの「聞」を使って市民の声を聞く「聞策討論会」を頻繁に開催しています。処理すべき懸案や未来の政策を作る時にはまず市民を支えて市民の声を聞きます。そして市民の意見を綿密に検討してソウル市の政策として作ります。

    私の就任以降、今年1月まで「超微細ほこり対応方案」等を含む合計90回余りの聞策討論会に一万2,000人余りの市民が参加してくださって、これはそのままソウル市の政策につながりました。また、専門家たちと共に討論する「熟議」は、ソウル市の政策をより一層専門化し、同時に反対の意見まで吸い上げる公論の場となっています。

    「百聞は一見に如かず」という言葉のように、現場で直接市民と会い、市民の意見を直接聞いて体験することも非常に重要な市政の原則です。私は市長に就任してから現場の問題を解決するために、現場で宿泊しながら市長室を設ける「現場市長室」を運営し、合計120回余りを超えて現場を訪問しました。最初に葛藤の現場を訪れた時には市民たちから胸ぐらをつかまれそうになったこともあり、「辞任しろ」とやじられたこともあります。しかし、その方々の意見を聞き、共に対策を模索して行くと、その後にはむしろ「市長のファンになった」と言ってくださった方もできました。私はこのように現場に行けば問題解決に一歩近づけることがでるため、「現場に答えがある」と思っております。

    ソウル市は全ての情報の開放、公開、共有を通じて市政の透明性を高め、責任性を強化する行政革新も実現しました。「開かれたデータ広場」の3,672個のデータセット、行政情報公開自動システムによって公開された351万件余りの行政情報は今やソウル市民であれば誰でも閲覧し、活用することができる新しい情報と価値創出の場となっています。

    モバイル市民時代に相応しく、スマートフォンを始めとしたオンライン疎通の道も大きく開きました。SNS革新行政は実に光の速度、光速行政の時代を開きました。市長である私のSNSフォロワーはツイッター100万人を含めて150万人を超えており、私のSNSは世界市民の誰にでも開かれている苦情の場だけでなく、政策公論のアゴラとなっています。今ここで私のフォロワーがいらしゃいますか?もし今フォロワーリクエストを送れば、私がすぐ受け入れます。

    2012年のある日、私のツィッターに飛んできた苦情です。「尊敬するソウル市長、私はソウル市内バス○○企業で勤務しているバス労働者です。○○企業のバス労働者たちは今も会社の常習的な賃金の未払いで困っています。必ず解決してください。」私はこのツィッターをすぐソウル市交通本部に知らせました。

    そして4日後、再び私のツィッターに飛んできたその方からのメッセージです。「パクウォンスン市長、ありがとうございます。昨日未払い賃金が入金されました。300余りのバス労働者たちが感謝していおります。こんなに早く解決されるとは期待もしなかったですが、今回の子どもの日には子供たちにとって堂々としたパパになります。」皆様、ソウルの今の姿です。 これだけではありません。「市長、地下鉄の駅で用意されている車椅子が故障しました」、「家の前の歩道ブロックが壊れて不便です。」、「生ゴミ箱から変な匂いがします。」私はこれら全ての市民の声を見ると直ちにソウル市の当該部署の職員に知らせます。市民の小言や苦言は近いうちに笑い声に返ってきます。

    このようなメッセージもあります。「私、今ちょっと感動しちゃった。小学校前の電話ボックスが大変危険な状態のまま何年間放置されていたから、私が撮った写真をソウル市長に送って見たら約2週間ぶりに撤去されたの。まさか私の写真を見たかと思ったが、今日返事をもらったの!私の写真見たって!ウワー、私が世界を動かすなんて!市長、本当にありがとうございます。私の小さな意見がこのように市政に反映されるとは想像もしなかったです。まるで私が市長になったようです。」市民たちからこのようなメッセージをもらうたびに私はたとえ体と心は疲れているとしても「ソウル市長になってよかった」と思います。市民の幸せが私の幸せです。

    ソウル市はこのように市民と疎通しながら「協力政治」と「革新」を活かして「ソウルの夢」を一つずつ実現しており、都市の問題を一つずつ解決しています。したがって私が口癖のように言っている「協力政治」と「革新」は、ソウルの夢を実現してくれる両翼になるという話は決して過言ではありません。

    エネルギーと環境問題に積極的に対応する「原発1基削減」事業も市民たちと共に疎通して協力しながら実現した成果でした。2011年、日本の福島原発事故は安全で持続可能なエネルギーに対する関心を呼び起こし、地方で生産された電力がこなければ都市の機能が麻痺されるしかないソウルとしてはエネルギー政策について省察する契機となりました。

    ソウル市は市民と共にエネルギー危機の克服について悩みました。どのようにすればエネルギーを節約することができるか、どのようにすれば化石燃料エネルギーでなく、環境に優しいエネルギーを使用できるかと、研究して討論して顔を合わせました。皆が不可能だと思っていた原子力発電所1基の発電量200万TOE削減を目標とした「原発1基削減」事業はそのように誕生しました。エネルギー生産、効率化、節約という3大分野を中心に、未来の世代に与えられる最高のプレゼントである「原発1基削減」は、不可能を可能にしようとする信頼と責任感が巻き起こした一大の事件でした。

    市民たちは家庭と学校で太陽光の設置に積極的に参与して「太陽光発電所」作りに参加してくれました。エネルギー節約に対してインセンティブを支給する「エコマイレージ」は170万人が加入して家庭で、学校で、職場でエネルギー節約を生活化しました。私たちの未来世代である子供、青少年もエネルギー守護の天使となり、エネルギー節約の先頭に立ちました。地球が休めるように毎月22日、1時間ずつ「幸せな火をオフにする」運動にも多くの市民が参加してくれました。市民たちの認識が次第に変化し、参与と参加が拡大されました。「ちりも積もれば山となる」という言葉は次第に現実になってきました。

    2014年6月、ついに市民たちの積極的な参与の結果、当初の計画より6ヶ月も早い時期に200万TOE節減という目標を達成しました。不可能に見えた夢を実現しようとする熱情がソウルをエネルギー自立都市への夢に一歩近づけてくれました。

    世界中から賛辞が寄せられました。国際連合の公共行政賞、WGBC(World Green Building Council)気候変化リーダーシップ賞、世界自然基金(WWF)、C40-シーメンス都市気候リーダーシップアワード等がソウル市の「原発1基削減」事業に注目し、これを記念する賞を与えました。「原発1基削減」事業は地方自治体という限界にもかかわらず、制度の改善と独創的な事業によって地域エネルギー政策の成功的なモデルを提示したという評価を受けました。

    ソウル市の「原発1基削減」事業は現在国内の自治体はもちろん、世界国際機構や様々な都市の学習対象となっています。ソウル市は今や「エネルギー所費の都市」から「エネルギー生産の都市」に転換するために「原発1基削減第2段階」事業を始めます。「原発1基削減第2段階」が成功すれば、ソウルの電力自立率は20%まで上り、400万TOEのエネルギーが節減され、1,000万トンの温室ガスが減ります。エネルギーと環境に対する大都市の責任はこれから我が社会を一層持続可能な未来への道に導いてくれます。同時に、次の世代から借りている地球を次の世代にこのまま譲る唯一の道になります。

    これ以外にもソウル市は「町共同体」事業、「共有都市」事業、「都市再生」事業等、数多い政策を市民と共に疎通しながら展開しています。このような政策はソウルという大都市が直面している様々な問題を解決し、共に生きる都市、持続可能な未来のある都市への転換を導いてくれます。

    皆様、ここでしばらくソウル市がどのように変化しているか、ソウルの中に一回入って見ましょうか(映像)はい、ソウルは今、このように運営され、また変化しています。これらの全てをソウル市の力だけでなく、民・官・企業等と共にしています。疎通と参与で共にする「協力政治」と、協力政治が作った「革新」はソウルの変化を導いています。これからも「革新」は変化の動力となり、「協力政治」は統合の踏み石となります。

    その結果、ソウルは日本の森記念財団が調査する「森指数」で、3年連続世界都市競争力6位という成果を成し遂げました。世界電子政府評価1位、観光分野3年連続コンベンション5大都市、2年連続ベスト国際ビジネスミティング都市として選定されました。一年間ソウルを訪れる観光客はすでに1,000万人を大幅に超えています。

    今ソウルは全世界が訪れるグローバル都市となりました。ソウル市の行政優秀事例は21か国22都市で活かされており、有数の世界各都市がソウルを学びに来ています。

    皆様、今世界は都市の時代に入りました。国家と国家の境界を超え、都市と都市、地域と地域、人と人による実質的な疎通と交流・協力に集中しています。

    地球的運命共同体の時代に一つの都市の問題はその国家の問題やその都市の問題だけに限ることはできません。

    ソウルと東京の今日、北京とニューヨークが頭を悩ませている今日の問題は、都市や国境を越え、世界市民の皆が共に解決していかなければならない全地球的な問題として浮上しました。

    実際にソウルと北京が気候大気の問題に共同対応しており、去年9月にはニューヨークでソウルと北京、東京等13都市の代表が集まって都市別大気汚染減縮の目標を定め、共同対応しながら達成していくという共同宣言文を発表しました。

    86カ国1,000余りの都市・自治体が参加している気候環境分野の世界最大地方政府ネットワークであるイクレイ(ICLEI)が持続可能な都市のために共に協力していくことは、都市と地方政府が都市問題を主導的に解決しなければならない事例を見せてくれます。今年、「イクレイ世界総会」は4月にソウルで開催される予定で、「イクレイソウル総会」は都市間の国際気候変化の協力体制を一層強化する契機となります。

    「大統領は原則を述べるが、市長はゴミを拾う」という話のように、今や都市問題は都市が主導的に解決しなければなりません。「下水溝を直すためには共和党的方法も、民主党的方法もない」というフィオレロ・ラガーディア元ニューヨーク市長の話が私たちに示唆する意味は大きいです。都市問題は理念や政治的見解を乗り越え、実際に市民の生活のために最も必要なものを選択し、実用的な方法で解決しなければならないためです。

    これから韓国と日本の都市も新しい協力の時代を開いて行かなければなりません。国家から都市へ、国民から市民へ、政治から経済・社会・文化へその幅を広げて行かなければなりません。今年は光復と戦後70周年、韓日国交正常化50周年を迎える意味深い年です。今こそ私たちは新しい時代へと前進していく新しい扉を大きく開かなければなりません。しかし、今韓国と日本の国家的関係は困難な状況にあります。東アジアの情勢も過去史の壁を乗り越えずにいます。道は封鎖され、橋は切れています。これから韓国と日本は現実を直視し、過去を真剣に省察しながら、未来に向けた共同のビジョンと方向を設定して前進しなければなりません。

    韓国人と日本人は互いを虫眼鏡や屈折鏡、色眼鏡をかけて見ているため、相手のありのままの姿を知らないという指摘もあります。これからは3つの眼鏡をはずしてありのままの姿を見て、理解しながら昨日のことを省察して今日のことを直視し、明日に前進して行けば、私たちは誤った過去と不幸な歴史を乗り越えることができます。

    誰かが夢を見て、共に実践して行けば十分に可能な話です。第2次世界大戦以降、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)を作ってヨーロッパ統合の土台を築いたロベルト・シューマンとジャン・モネの道を私たちは注目しなければなりません。

    フランスとドイツは第2次世界大戦で互いの胸に筒先を向けた敵国でいわゆる不倶戴天の敵でした。憤怒と憎悪の歴史が生んだ冷戦的関係に道を開けた人は、フランスの外務長官だったロベルト・シューマンと外交館長のモネでした。ヨーロッパで第2次世界大戦を可能にした核心資源だった石炭と鉄鋼を共同生産し、管理する共同機構を作ろうという提案はついに1951年4月、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の出帆に繋がり、ドイツとフランス間の資源共同管理システムであるヨーロッパ石炭鉄鋼共同体はヨーロッパ統合の土台に繋がりました。

    それから3年後の1954年、パリ講和条約で両国は戦後問題を処理し、1963年フランスのシャルル・ド・ゴール大統領とドイツのコンラート・アデナウアー総理間に結ばれたエリゼ条約はドイツとフランスを完全な和解の道に導きました。フランスとドイツの歴史的な和解の出発は経済的利益を共有することから始まりました。経済協力が根となり、歴史の和解が茎となり、平和と繁栄の花を咲かせてついにヨーロッパ連合(EU)という統合の成果が出たのです。

    私たちはドイツの「記憶、責任そして未来財団」にも注目しなければなりません。

    ドイツは第2次世界大戦と関連して戦勝国とイスラエル、ポーランドのような被害国に国家賠償金をすでに支払った状態でした。

    しかし、2000年にドイツ政府と企業は戦時被害者を賠償するために100億マルク(円に換算して)という基金を助成し、「記憶・責任そして未来財団」を設立しました。「道徳的な責任感と連体感、そして自己尊重心から始まって、確固たる人道的な信号を送ろう」というのが理由でした。財団は第2次世界大戦の当時、ドイツ政府と企業によって強制徴用された被害者たちに対する道義的な賠償と、傷ついた心を癒してくれる努力を持続的に展開しています。傷の治りがないままの和解は事実上には不可能だからです。

    皆様、全ては結局、人がすることです。フランスとイギリスの100年戦争、フランスとドイツ、ドイツとイギリス、ドイツとポーランドは数世紀にわたって互いに殺し合う戦争を繰り返しました。敵対感が歴史となり、互いを傷つけ、憎悪の復讐が繰り返されました。

    それで今はどうでしょうか?心のこもった省察と反省、和解によって過去を許して、今日を共に生きて、未来に向けて前進しています。韓国と日本、中国をはじめ、我が東北アジアの国民の皆が共に幸せな夢、さらにはアジア人の全体が永久的な平和と共同繁栄の共同体を実現する夢、そのような夢を私たちは見ることができないのでしょうか。この席にいらっしゃる皆様だとできます。若くて未来を導いていく皆様がその夢の主人公になってください。

    私は韓国と日本、ソウルと東京も十分にできることだと思っております。真の省察と和解の中で同行の道を探し、問題を解決していく疎通と協力の道で平和と繁栄の花を咲かせることができると思います。したがって私はご提案申し上げます。

    ソウルと北京、ソウルと東京の両者関係を超えて、北京・ソウル・東京が共にするベセト(BeSeTo)協約を復活させ、「ニューベセトトライアングル」の体制を共に開いて見ましょう。過去を省察して和解して未来に前進していきましょう。そして私たちの前に置かれている都市の問題、高齢化、低出産、エネルギー、気候大気、都市再生の現実的な問題、持続可能な未来への道を共に探して行きましょう。

    去年12月にソウルで開かれた「韓中日知性クラブ」はベセト再構築の推進に力を入れてくれました。これから一層堅固で密接な「ニューベセトトライアングル」の体制を構築して行けば、北京・ソウル・東京は東アジアの永久的な平和と共同繁栄を繋げてくれる強固な三角編隊を実現することができます。

    皆様、「鯛も一人で食べればうまくなし」という言葉がありますね?共に疎通して、共に交流して、共に協力して初めて私たちは新しい希望と未来の道を築いていくことができると思っております。日本では「一人の百歩より百人の一歩」ということわざがあります。私の好きな言葉の中には「共に見る夢は現実になる」という言葉があります。

    迫ってくる未来に私たちの子孫が戦争とテロの脅威のない国で住んで、持続可能な生活をしていく都市で未来の夢を追求できる道を私たちが開かなければなりません。私たちは次の世代に重荷を残してはいけません。私たちの「過去」が次の世代の「未来」にならないよう、共に知恵を集めていきましょう。

    皆様、一緒にしてくれますね?本日私たちの出会いと疎通が韓国と日本、ソウルと東京、さらには東アジアが共に幸福な共同繁栄の道への小さな種となることを願っております。ありがとうございました。

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