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都市再生

  • 古い建物に見出す未来、ソウル市セウン(世運)商店街の都市再生物語

  • 都市再生 SMG 3,154
    • 完成当時、総延長1キロに及ぶ圧倒的な規模で20世紀の建築と都市の新ビジョンを提示
    • 2015年「国際懸賞設計公募」に海外44作品、国内38作品が応募…海外勢が上回る
    • 最終当選作、ユネスコ文化遺産「チョンミョ(宗廟)」とセウン商店街をつなぐ幅の広い横断歩道
    • セウン商店街~チョンゲチョン(清渓川)区間の歩行デッキの復元で、都心とチョンゲチョンの眺望が可能に

    ソウル特別市チョンノ(鐘路)区鐘路3街とトェゲロ(退渓路)3街の間に立地するセウン(世運)商店街。北にはチョンミョ(宗廟)、南にはナムサン(南山)を望むソウル都心から南北1キロに及ぶ通りに8つの建物が建ち並んでいる。

    1~4階にはオーディオ機器や照明器具、カラオケ機器、ゲーム機といった家電製品の店舗があり、5階から上はマンション及びオフィス空間として活用されている。一時は好況に沸いたが、カンナム(江南)開発やインターネットの発達などの影響で現在は不況に見舞われている。ソウル市はセウン商店街の再生に向けたプロジェクトに取りかかった。

    セウン(世運)商店街、昔物語

    太平洋戦争末期の1945年、爆撃と火災の延焼を防ぐために都心に防空空地が造成された。戦後、多くの難民たちがここに無許可で住み始め、スラム街が形成された、だが、都心のスラム化を防ごうと、1968年、当時韓国一の建築家だったキム・スグンによって国内初の住商複合施設が建設された。

    1970年代当時、セウン商店街は最高級の住商複合施設だった。有名芸能人や官僚らが入居し、室内ゴルフ場、百貨店、スーパーマーケット、総合家電販売店は好況に沸いた。80年代はコンピュータ、90年代はゲーム機とカラオケ産業の発達を受け、中小規模の開発者らが産業ネットワーク・システムをここに構築し、「セウン商店街に頼めば戦車もつくってくれる」とまでいわれた。

    セウン商店街に注目すべき理由は、総延長1キロと桁違いに規模が大きいからだけではない。3D立体都市や巨大構造、人工敷地、空中街路、複合用途開発、屋上庭園、歩行者モールなど画期的な事例を実現させ、20世紀の建築と都市の新たなビジョンを提示したからだ。

    セウン商店街は単なる建築物ではなく都市システムである。当時非常に重要なプロジェクトの一つとして推進され、集合的都市体系を備えたメガストラクチャーとして今も変化を遂げており、今後も発展する余地が大きいことから、国内のみならず海外からも高い関心が寄せられている。

    しかし、カンナム(江南)やヨンサン(龍山)といった新しい大型家電商店街の登場とインターネットの発達により、2000年代に入るとセウン商店街はスラム化の兆しを見せ始めた。

    再生をキーワードとしたコミュニティ・デザイン・プロジェクト‐ガバナンス物語

    2008年12月、段階的に商店街が撤去され、大規模緑地の軸を整備する事業が始まった。2007年に撤去をめぐって議論が交わされた、商店街の全面撤去と周辺地域の再開発に関する計画の発表によって一件落着かと思われた

    しかし、住民との摩擦や不動産市況の悪化などにより、計画は白紙撤回され、セウン商店街開発計画は振り出しに戻った。2014年3月、ソウル市は国内外や住民の様々な意見を集約してセウン商店街の存置を決定、活性化計画の推進に取り掛かった。そして、セウン商店街を、撤去ではなく「再生」によって発展させるという新しいアイデアが示された。

    こうして、ソウル市、商人会、建築事務所、住民の意見を集約し、セウン商店街再生に向けた「コミュニティ・デザイン・プロジェクト」がスタートした。これは、再生の主体を見つけ出し、その力量を強化して自生的ガバナンスを形成するための過程であった。

    ソウル市は、セウン商店街を「再開発」しなくても「再生」できるかについて、住民と議論して関係を深め、住民と一緒にセウン商店街の復活を目指す方針だ。特に、商店街が持つ歴史的意味と住民の利便性を考慮し、過去と現代が共存する街づくりに向けて研究を続けている。成長の代案として注目されている再生を事業方針に定め、これまで蓄積された技術を基にセウン商店街の文化的意味・歴史を最大限に活用し、街の新たな資源を生み出そうという考えだ。

    セウン(世運)商店街再生物語

    セウン商店街は、都心のチョンノ(鐘路)やウルチロ(乙支路)、トェゲロ(退渓路)など、東西の主要道路とチョンゲチョン(清渓川)を横切っている。「横切る」というのは、「断ち切る」ことも意味もあるが、同時に「つなぐ」ことも意味する。

    都心の様々な領域をつなぎ、新しいものをつくり出すセウン商店街の「生成の潜在力」は無限だ。

    2015年2月に実施された「セウン商店街の活性化に向けた公共施設設計国際懸賞公募」には、海外から44作品、国内から38作品、計82作品の応募があった。国内よりも海外からの応募が多かったのは、海外の建築家がセウン商店街に非常に高い関心を持っていることの表れだ。

    選ばれたのは、エスケープ建築の「Modern Vernacular(現代の土俗)」だ。この作品は、朝鮮史600年を代表するユネスコ世界文化遺産「チョンミョ(宗廟)」とセウン商店街を連係させるために幅の広い横断歩道を設置し、これまで都市農業空間として活用されてきた「セウン(世運)チョロクティ(緑の帯)公園」を蚤の市や屋外展示、屋外公演 、スクリーン映画館、スポーツイベントなど様々なイベントを催せる多目的空間にすることを提案している。これが実現すれば、セウン商店街はソウルを代表する文化施設となる。

    特に、既存のデッキにプラットフォームセルと呼ばれる公共空間が随所に設置され、そこで商店街の入居者と内外部の様々なコンテンツが組み合わせられる。また、3階の高さの歩行者デッキの下に2階の高さの歩行者通路が新設され、商店街へのアクセスがよりよくなる見通しだ。さらに、セウン商店街のカ棟とチョンゲ(清渓)商店街の間の歩行者デッキが再びつながれる予定で、チョンゲチョン(清渓川)と都心を同時に眺められるソウル唯一の空間が誕生することになりそうだ。

    2016年には、公共空間のフォームが完了するとともに、セウン商店街の商人と市民が一緒に参加する様々なプログラムが催される予定だ。

    セウン商店街は、ソウルの建築的遺産であるだけでなく、歴史文化産業の複合体であり、文化的価値と意味を持つ空間だ。セウン商店街の再生はソウル都心にさらなる活力を与えることが期待される。

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