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希望日記

  • 轟音と静けさの間
    [朴元淳の市政日記6]

  • 希望日記 SMG 1010

         市長に就任して100日、いや、市長選に出馬したその日から今この瞬間まで、私の耳には様々な音が最大音量で届いてきます。静謐な自然の、命の音だけで満たされた白頭山脈からソウルに出てくると、四方から光の雨のようにフラッシュが焚かれました。それはまるで轟音のように聞こえました。その後、凄まじい誹謗中傷や、市庁広場を埋め尽くし私の名前を連呼して応援してくれた市民の皆さんの歓声、その膨大な音の中で、私自身は真空状態にいるような心地で日々を過ごしてきました。

         市長になってからも、依然としてその音の大きさは減りません。「軽々しく希望について語るな」といって泣きながら私に抗議した市民の声が、今も耳に残っています。「この政策はここが間違っている」、「この政策はこのようにしなければならない」、「これを補償し、これの責任を取れ」などなど、極寒の日も毎日のように市庁の前には抗議に来た人が立っています。「寒いから中に入ってください」と言いたい気持ちは山々ですが、それを言えない心苦しさが私を苛みます。それだけではありません。市長室の壁には付箋が一面に貼り付けられていて、その一枚一枚が私に仕事を訴えてきます。集中討論も毎日行われます。私という人間にも大分慣れてくれたソウル市庁の職員は、上の者から下の者まで、私の顔を見れば何かを尋ねてきます。交通、ニュータウン、再開発、賃貸住宅、防災、安全、債務、食べ物、保育、雇用などの問題から面談、インタビュー、報告、会議、イベント、政策などに至るまで。とは言え、彼らは私の命令を待つだけのイエスマンではなく、一緒に相談し、意見を交換しながら仕事を進めていきます。ですから、仕事のほうも私の気持ちもかなり楽になりました。

         しかし、正直に申し上げれば、疲れている時は、「うるさい」と感じることもないわけではありません。それは、音量が大きい、つまり物理的に「うるさい」からですが、これは非常に危険な状態です。このような音を「うるさい」と感じたその瞬間から、私は市長失格となるからです。このような音を、私は全身で聞いていなければなりません。誠心誠意、聞いていなければなりません。音ではなく使命として、苦情や業務ではなく天からの声として受け止めています。

         今日は「熟論議の日」です。一週間のうち一日は、市政の様々な課題の一つを選び、関連部署と長い時間をかけて討論を行います。資料と情報を集め、政策を検討し、意見を確認した上でそれらを決定する日です。今日の午前は雇用に関する熟論議が3時間、午後には食糧政策に関する熟論議が3時間設けられました。正直、これはたやすいことではありません。途中で10分の休憩が入るだけですから、座り続けるためには忍耐が必要です。この静かな時間、ある人は居眠りをし、ある人は重くなってくる瞼をやっとの思いで開けているのを見ていると、かわいそうにも思えるし、面白くもあります。しかし、私は下を向いたり、長く目を閉じているわけにはいきません。どうしてですかって?全員が、時にはカメラが、私を凝視しているからです。市長は衆人の監視の中にいる存在だからです。

         発表者一人の声だけが響く静かな時間、その時私は「これこそ轟音ではないか」という思いが浮かびました。出席者の半分は眠気と戦っており、一人の提案発表だけが鳴り響く空間。そこには高い音量の轟音と同じ活力がありました。出席者の半分以上は眠気と戦っていますが、静けさの中には活力が漲っています。我々には叶えたい夢があり、その夢は私たち個人ではなく多数のためのものなのです。睡魔に襲われながらも、我々は一つの目標にむかって高度の集中力を発揮していました。雇用を生み出すことについて、食品産業について、まるで的を目掛けて矢を射るように、我々は互いを励まし合い、一日中勉強しました。静かでしたが、うるさい時間でした。静けさに包まれていましたが、そこには轟音が響いていました。精神の奥底に触れる大きな音でした。

         世界は本来、音に満ちています。ソウルの街中は、忙しく鳴り響く音でいっぱいです。しかし、耳を澄ませば、その音はまったくうるさく感じられません。それは、生きるために燃焼される情熱が作り出す音であるからです。生きていくため、自分が生き、人を生かすために忙しく動いており、そのことで生まれる生存のための証拠であるからです。人が出すそのような轟音を人生への情熱と考え、私はまるで真空状態にいるように過ごしているのです。世の中がいくらうるさくても沈黙を守り、地響きのような生の音を作り出しています。

         しかし、世の中にはまったく意味の無い騒音もあります。自分の生への情熱が思いもよらず、人を傷つける貪欲さを占めてしまうと、「人間の心」というのはこの上なくうるさくなります。いくら声を張り上げて大口を叩いても、人を脅し、法螺を吹いても、目はぱちぱち、手はぶるぶる、喉はからから、すべてお見通しです。終いには笑いの種になります。様々な音があるものです。

         熟論議が続いた今日もそろそろ終わりを迎えています。夥しい轟音を出していた情熱の時間が、静けさと騒音の中で過ぎていきます。市民の皆さん、心穏やかな夜を迎えてください。ぐっすりお休みになり、明日はまた、轟音を出して生きていかなければなりません。その活力を、期待しています。