ソウルを代表する芸術フェスティバルを発掘・育成し、芸術の持つ社会的価値を市民や芸術家と共有します。
– 支援対象:ソウルを代表する公演芸術祭14、ソウルの有望な公演芸術祭20
ソウルナムサン(南山)国楽堂は、2007年に伝統公演芸術の振興と国楽の優れていることを知らせ伝えるために建設された国楽専門公演場です。
韓国の歴史的伝統とアイデンティティを反映している伝統的な韓屋の美しさを活かすため、地上1階の韓屋建物をベースに公演場を地下に配置した構造は、周辺の自然環境と調和して他の公演場とは差別化された情趣を感じることができます。
特に地下1階公演場ロビーにつながるサンクンガーデン(sunken garden)「沈床園」は、キョンボックン(景福宮)キョテジョン(交泰殿、王の居住しない空間)の雰囲気を活かした階段式庭園としてしつらえられており、地下公演場でありながら自然の採光と美しい風景を提供します。
300席規模の公演場は、木材を積極的に使用することで自然な美しさとともに庭のような感覚を感じさせる突出舞台構造となっており、観客との交感をスムーズに引き出すだけでなく、音響装置がなくても自然の音をそのまま観賞できる設計となっており、韓国の伝統公演に最適化されていることが特徴です。
このように、芸術性と造形美、そして機能性が調和をなしているソウルナムサン(南山)国楽堂は、2017年に開館10周年を迎えたことにより公演場施設の改善及び空間のメンテナンスを通じて多彩な伝統公演に最適化された専門の公演場として造成され、国楽と伝統文化がいきいきと息づく空間でありかつ市民と外国人観光客が訪れる観光名所として定着しつつあります。
ソウルナムサン(南山)国楽堂は、韓国の伝統と自然が入り乱れる都市の中の特別な空間、ナムサン・ハノンマウル(南山韓屋村)の情趣にくわえ、ハイレベルな伝統公演の観覧と余裕あふれる休息を楽しめる特別な場所です。
チャンドックン(昌徳宮)の顔といえるトンファムン(敦化門)の名を冠したソウルトンファムン(敦化門)国楽堂は、伝統文化地域であるチャンドックン(昌徳宮)のアイデンティティを取り戻すため、チャンドックン(昌徳宮)の向かい側にあったガソリンスタンドの敷地をソウル市が買い入れ、国楽専門公演場として造成したものです。
伝統韓屋と現代の建築様式が入り混じっている公演場は、自然な音響により国楽を鑑賞できる140席規模の室内公演場と野外公演のための国楽マダンで構成されており、観客は演奏者と共に呼吸しながら韓国伝統の情趣を身近に体感できます。
オリジナル企画・制作公演や、民間の公演芸術団体とのコラボレーションを通じて、韓国の芸術の美しさをアピールすることに努めます。
ソウル歴史博物館は、ソウルが短期間に世界的な大都市へと成長する中で急速に失われつつあるソウルの原型を探るという努力の中で生まれました。この趣旨が、朝鮮のハニャン(漢陽)定都600年記念事業として具体化されたことにより、2022年5月21日、キョンヒグン(慶熙宮)の跡地に開館する運びとなりました。
2022年現在、約26万点の遺物を所蔵しており、2012年の開館10周年常設展示室のリニューアルによりハニャン(漢陽)、キョンソン(京城)、ソウル特別市へと受け継がれてきた約600年もの歴史だけでなく、現代を生きるソウルの人々の日常まで収めるものとなりました。
このような歴史的な流れに加え、ソウルだけの独特かつ多彩な物語を映し出す特別企画展がたゆまず開催されています。さまざまな教育プログラムや文化イベントも運営しており、ソウルだけのオリジナルな色を持つ特別な地域に対する学術調査は、博物館の代表的な事業として定着しています。
ソウル歴史博物館はソウルの歴史をさまざまな角度から振り返るハニャン(漢陽)都城博物館、チョンゲチョン(清渓川)博物館、トンデムン(東大門)歴史館・運動場記念館、ペク・インジェ(白麟済)家屋などを分館として置いています。今後とも、ソウルの歴史と文化を保存・展示してソウルに対する理解と知名度を高め、さらには韓国人・外国人にソウルという都市について学び体験できる機会を提供する代表的な文化空間になるべく尽力してまいります。
ソウル歴史博物館の分館:12分館 [キョンヒグン(慶熙宮)、キョンギョジャン(京橋荘)、ペク・インジェ(白麟済)家屋、チョンゲチョン(清渓川)博物館、ハニャン(漢陽)都城博物館、トンデムン(東大門)歴史館、トンデムン(東大門)運動場記念館、トニムン(敦義門)歴史館、コンピョン(公平)都市遺跡展示館、ソウル生活史博物館、軍器寺遺跡展示室、ディルクシャ]
ソウルの古代の歴史と文化を振り返るタイムマシーン
ソウルは678年の百済の歴史のうち、493年間その首都でした。古代百済が初めて首都と定めて以来、現在まで2,000年以上の歴史が受け継がれている古都です。
現在のソウルにはプンナプ(風納)土城、モンチョン(夢村)土城、ソクチョンドン(石村洞)古墳群など、百済ハンソン(漢城)時代の中心的な遺跡があちこちに残されており、出土している遺物だけでも数万点以上に及びます。このため、ソウル市では、遺跡・遺物を体系的に保存・管理して首都ソウルの歴史を振り返り、文化的アイデンティティを確立するために建設いたしました。
2000年に及ぶソウルの歴史をいつでも振り返ることができるサイバー博物館として、皆様と交流する開かれた空間になることが目標です。
ソウルの都心の中にある代表的な伝統文化空間、ナムサン・ハノンマウル(南山韓屋村)
ナムサン(南山)の北裾にあり韓屋村が立ち並んでいるピルドン(筆洞)は、朝鮮時代には渓谷が流れることから夏の時期の避暑を兼ねた風流な生活を味わえる場所として有名でした。
ソウル市は、市内に散在していた民俗文化財である韓屋5棟を移転・復元させて1998年4月18日にナムサン・ハノンマウル(南山韓屋村)を造成し、先祖の生活様相を振り返ることができる伝統文化空間として整えました。
韓屋の空間的価値を活かして市民と観光客が伝統文化を体験できる様々なイベントやプログラムを実施しています。
また、毀損されていたナムサン(南山)のかつての事前地形を伝統庭園として復元してナムサン(南山)に自然に植生していた樹々を植え、渓谷を作って水が流れるよう致しました。
井戸と東屋も復元し、かつての祖先が悠々自適に過ごしたナムサン(南山)の古き情趣を体感することができます。
1994年にソウルを都として定めた「ソウル定都600年」を迎え、ソウルの姿と市民の生活を代表することができる文物600点を、ポシンガク(普信閣)の鐘の形をしたカプセルに入れて伝統庭園の南側に埋めました。
ソウル千年タイムカプセルは、定都1,000年となる2394年11月29日に開封される予定です。
ハニャン(漢陽)都城は、朝鮮王朝の都だったハンソンブ(漢城府)の境界を示し、その権威を表しつつ外部からの侵入に対して防御するために築造された城です。
テジョ(太祖)5年(1396)、ペガク(白岳、プガクサン(北岳山))、ナクタ(駱駝、ナクサン(駱山))、モンミョク(木覓、ナムサン(南山))、イヌァン(仁王)の内四山の稜線に沿って築城され、その後度重なる改装がなされました。
高さ平均約5~8m、全長約18.6kmに及ぶハニャン(漢陽)都城は、現存する世界中の都城の中でもっとも古くより(1396~1910、514年)都城としての機能を果たしました。
ハニャン(漢陽)都城には4大門と4小門を置きました。4大門はフンインジムン(興仁之門)、トニムン(敦義門)、スンニェムン(崇礼門)、スクチョンムン(粛靖門)であり、4小門はヘファムン(恵化門)、ソイムン(昭義門)、クァンヒムン(光熙門)、チャンイムン(彰義門)です。
このうち、トニムン(敦義門)とソイムン(昭義門)は今は失われています。
また、都城の外に水路をつなぐため、フンインジムン(興仁之門)の周辺にはオガンスムン(五間水門)とイガンスムン(二間水門)を置きました。
2013年~2014年の発掘調査を通じて現れた城壁の遺跡を展示しています。
この遺跡は、ハニャン(漢陽)都城のナムサン(南山)区間の一部で、これまで失われていたと思われていた城壁区間です。
展示館のあるナムサン(南山)の裾は、ハニャン(漢陽)都城の古き歴史を圧縮して見せてくれる場でもあります。
ハニャン(漢陽)都城の遺跡(1396)-朝鮮神宮拝殿の跡(1925)-ナムサン(南山)噴水台(1969)等を包括する展示館エリアでは、朝鮮時代の築城の歴史、日本による植民地時代の苦痛、植民地支配からの解放後の都市化、最近の発掘・整備過程についてすべて一覧することができます。
ソウル特別市の史跡第257号としてソウル特別市チョンノ(鍾路)区ウンニドン(雲泥洞)に位置するウンヒョングン(雲峴宮)は、朝鮮時代第26代王であるコジョン(高宗)が即位前に住んだ場所であり、フンソン(興宣)大院君の私宅で、韓国近代史の遺跡の中でも大院君の政治活動の根拠地として由緒が深い場所です。
ウンヒョングン(雲峴宮)の所有権が再び大院君の子孫の手にゆだねられたのは、1948年米軍政庁の公文によってでした。
以後、その所有権をめぐって大韓民国政府と大院君の子孫の間で法的係争がありましたが、同年9月21日、最終的に大院君の5代目の孫イ・チョン(李清、1936-)氏がウンヒョングン(雲峴宮)の所有権を持つことと確定しました。
しかしその後、1991年ウンヒョングン(雲峴宮)の維持・管理に困難が発生したためイ・チョン(李清)氏が譲渡の意思を明らかにしたことによりソウル市が買い入れることとなり、1993年12月より補修工事を行って現在の姿に整えられました。
韓国語の中において「チッタ」という動詞はとても興味深いものとなっています。農業を行うことも、衣服をつくることも、家をつくることも「チッタ」で表します。つまり、人間の生存に必要な衣食住はすべて「チッタ」の目的語になり得るのです。そして、歌をつくるのも「チッタ」です。そうしてつくられた歌は、人々の暮らしの現場に常に寄り添っていました。
私たちがしばらく忘れ去っていた民謡には、韓国の人々の喜怒哀楽や暮らしの様相のすべてが込められています。
韓国初の民謡専門博物館、ソウルウリソリ(民謡)博物館は、チャンドックン(昌徳宮)トンファムン(敦化門)の向かい側に開館しました。「民謡の地」韓半島の139市・郡904村のあちこちを探し歩き、約2万人と触れ合って記した全国の民謡を、誰もが快適に楽しむことができる休息スペースとなることが目標です。
ソウルウリソリ(民謡)博物館は、地上1階~地下2階の合計3階建て、延べ面積1,385㎡規模で造成されており、常設展示室をはじめ音源鑑賞室、映像鑑賞室、企画展示室など多彩な空間により充実した構成となっています。
「音源鑑賞室」は、民謡に初めて触れる世代や外国人観光客に民謡に対する興味と関心をかき立てるための空間で、韓屋の情趣を味わいながら韓国全土を代表する民謡を鑑賞できます。その他、民謡関連書籍及び遺物等さまざまな形の資料を確認することができます。
「常設展示」は、「ウリソリ(民謡)で生きる」というテーマを、さらに「仕事とウリソリ(民謡)」、「遊びとウリソリ(民謡)」、「儀礼と労いのウリソリ(民謡)」、「ウリソリ(民謡)の継承」というテーマに細分化し、自身の生き方を歌を通じて物語った韓国人の日常について紹介します。それぞれのテーマ別にインタラクティブ映像、錯視アニメーション模型(ジョイトロープ)等の最新技法を活用して、市民により身近になれるよう整えました。
「映像鑑賞室」には、空間の壁面のうち1つを丸ごと使った大型スクリーンが備えられており、美しい韓国の四季やそこに調和する韓国の民謡を最適な音響鑑賞システムを通じて経験できるよう準備してあります。展示では表現しきれなかった豊かな民謡については、地上1階に別途に設けられた「企画展示室」で体験していただけます。多彩なテーマをもとに構成された企画展では、新たな視点からのウリソリ(民謡)を鑑賞・体験していただくことができます。
ウリソリ(民謡)をテーマにした多彩な体験と見どころを通じて、難しく縁遠く感じられた私たちの民謡を身近に感じていただけたら幸いです。
2021年7月、チョンノ(鍾路)区アングクドン(安国洞)に開館したソウル工芸博物館は、ソウル市が旧プンムン(豊文)女子高の建物5棟をリモデリングして建築した韓国初の公立工芸博物館です。
ソウル工芸博物館は、工芸品だけでなく、工芸にまつわる知識、記録、人々、環境等について研究し共有することにより、工芸の持つ技術的・実用的・芸術的・文化的価値を体験することができるダイナミックなプラットフォームを目指しています。
ソウル工芸博物館は、伝統から現代にいたるまでさまざまな時代と分野について約2万点の工芸品や工芸資料を収集・保有しており、工芸歴史展示、現代工芸展示、地域工芸展示、子供工芸展示、工芸アーカイブ、工芸図書館、工芸資源管理システム、工芸作品設置プロジェクトなどさまざまな展示やプログラム、飼料やシステムを準備中です。
ソウル工芸博物館のある場所は、セジョン(世宗)の子息ヨンウン(永膺)大君の家、スンジョン(純宗)の嘉例のために建築したアングクドン(安国洞)別宮など王室の邸宅として使用されていたり、王室の嘉例に関する場所として悠久の歴史を持つ地です。
またここは手工芸品を制作して官庁に納品していた朝鮮の職人「京工匠」たちが存在していたチョンノ(鍾路)区の中心地でもあり、周辺にはプクチョン(北村)、インサドン(仁寺洞)、キョンボックン(景福宮)等が立ち並んでいるため、多彩な文化的経験ができる場所でもあります。
このような象徴的な地において、今後工芸という媒介を通じて伝統と現代をつなぎ、ソウルと世界をつなぎ、芸術と世界をつなぐ「工芸ハブ」として機能するソウル工芸博物館のこれからを、どうぞご期待ください。