• プンナプトソン(風納土城) 蘇る百済

    SMG 733
    • プンナプトソンの発見で百済王宮址の秘密が明らかに
    • プンナプトソン、モンチョントソン(夢村土城)…百済ハンソン(漢城)の北城と南城と推定
    • プンナプトソン…地盤の特性と構造物の重量を計算し、材料の効用性が最大限に発揮

    歴史の中に埋もれてしまった百済の都邑「ハナム(河南)ウィレ(慰礼)城」。西暦475年、チャンス(長寿)王率いる高句麗軍の攻撃によって崩壊したハナム・ウィレ城は、オンジョ(温祚)王時代後の西暦475年まで一定期間を除き百済の都邑だった。歴史の中に埋もれてしまったハナム・ウィレ城の秘密が、プンナプトソン(風納土城)に残っている。

    プンナプトソン(風納土城)の再発見

    1997年1月、プンナプトソンの敷地内はマンション建設工事の真っ最中だった。正月で管理が手薄なのを見計らい、ソンムン(鮮文)大学のイ・ヒョング教授は工事現場に侵入した。地面に掘られた穴を注意深く観察していたイ教授は仰天した。土の断面に百済土器の欠片がいくつも挟まっていたのだ。イ教授はすぐ、文化財の破壊が行われていると文化財庁に通報した。

    数日後、緊急の発掘調査が行われた。その結果、百済のハンソン(漢城)都邑期に当たる3世紀代の遺物と遺跡が多数出土した。ハンソン都邑期最古の遺跡が発見されたのだ。偶然の発見から始まった発掘は、歴史の中に埋もれていた百済初の王城であるハナム・ウィレ城の秘密を明らかにしたのだ。

    百済初の王都のミステリー

    『三国史記』などの歴史書によると、百済は紀元前18年に建国され、西暦660年まで678年間、朝鮮半島西南部を統治した古代王朝である。百済史全体の73%に当たる493年間の百済の王都「ハンソン(漢城)」はどこにあるのか、高麗時代から議論が絶えなかった。様々な諸説はあったが、百済初の王都について立証するものは何もなかった。長い年月が経ったのも要因の一つだが、何よりも百済がハンソンを失った瞬間があまりにも劇的だったからだ。西暦475年高句麗軍隊の攻撃を受け、ハンソンが陥落するときの状況が『三国史記』の『百済本記』に記されている。高句麗軍は北城を7日間、昼夜攻撃して陥落させたという。このとき、高句麗軍は火攻めを使った。7日間の戦闘で北城は灰と化した。王都は一瞬にして廃墟と化し、百済国王は死に追いやられた。まさに亡国だ。

    王都探しのプロセス

    ハンソン陥落という劇的な事件により、百済初の王都を探し出す手がかりが与えられた。それは王都「ハンソン」が北城と南城で構成されていたことだ。1983年から89年まで行われたモンチョントソン(夢村土城)発掘調査と1997年から2011年までのプンナプトソン発掘調査により、プンナプトソンとモンチョントソンはそれぞれ百済ハンソンの北城と南城というのが学界の通説だ。

    国家祭祀のために使われた倉庫や特殊建物址、井戸などが発見されたキョンダン地区は、百済の王宮址として大きく注目され、200余りの遺構が確認された。昨年12月からこの地区の未報告の遺物160点余りがハンソンペクチェ(漢城百済)博物館に移管され、共同復元や実測業務が行われている。

    2011年の城壁発掘時の考古学や映像工学、地球物理学、地理学、測量学、土木工学、土壌学、核物理学など各分野の専門家らによる合同研究の結果、プンナプトソンは地盤の特性と構造物の荷重が正確に計算され、土壌の様々な性質を混合し、城土の材料の効用性を最大限に発揮できるよう設計されたため、ハンガン(漢江)沿いにあるにもかかわらず非常にしっかりした地盤に建設されたと報告された。

    現在、整備された城壁の高さは約5メートルで、土の中に約3メートル埋まっていることを踏まえると、残っている高さは約8メートルと推測される。最初に城壁が建てられたときの高さは10.8メートルで、2回にわたる増築を経て、最大で13.3メートルあったことがわかった。当時、プンナプトソンの建設には延べ138万人以上が動員されたと推定されている。

    まだ終わっていない物語

    1970年代、百済遺跡が散在していたソウル市ソンパ(松坡)区一帯は、「桑畑が青い海になった(桑田碧海)」という言葉通り大きく変化した。ハンガンの流れが変わり、のどかだった農村は高層マンションと多世帯住宅が密集する地域となった。

    百済人の面影は、高度成長期の道路工事やマンション建設などによって誕生した人口4万人の巨大都市の中に埋もれてしまった。百済の魂が宿るプンナプトソンとモンチョントソンは、五輪という国の一大イベントの名残りであるオリンピック公園に埋もれてしまった。何気なく通り過ぎているこの美しい森、散策路がかつてどんな場所だったのか、果たしてどれだけの人が知っているだろうか。

    燦爛たる王朝が一瞬にして廃墟と化した百済。現代の韓国人にはその痛みがまだ伝わっていないようだ。古代王都ハンソンの夢は実現しなかったが、土の中には今も百済人の息遣いと魂が宿る遺跡と遺物が残っている。

    ハンソンペクチェ博物館は、2013年11月からモンチョントソン北門付近のネソン農場一帯の発掘調査を行っている。同博物館は今後、ソウルの百済王都遺跡をはじめ先史古代文化遺跡に関する発掘調査計画を策定し、古代ソウル史の復元・分析に取り組む計画だ。