文化観光

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  • ソウル都心の宮廷にまつわる物語

    SMG 481
    • キョンボックン(景福宮)…前方にはナムサン(南山)とチョンゲチョン(清渓川)、後方にはプガッサン(北岳山)、風水地理的に最高の場所
    • キョンボックン…朝鮮王朝開国の象徴、雄大さと古典美
    • チャンドックン(昌徳宮)…自然と美の調和が認められ、ユネスコ世界文化遺産に(1997年)
    • トクスグン(徳寿宮)…石垣通りや「守門将交代儀式」などで有名

    壮大だった建国初期から胸の痛む後期まで、朝鮮の喜怒哀楽が綴られた宮廷

    「歴史から学ぶ」のは大事なことである。歴史とは過ぎ去ってしまった過去ではなく、過去が照らす光によって現在を把握し、未来を眺望するものだ。従って、一国の根を知るということは重大なことであると同時に、とても大切なことだ。

    一国の歴史を知れば、文化や料理、言語、行動など、その国のすべてを類推することができる。では、韓国の歴史を知るために、都「ハニャン(漢陽)」(現在のソウル)に目を向けてみよう。古宮には、韓国の様々な歴史が綴られている。

    キョンボックン(景福宮)>

    韓国の宮廷といえばまずキョンボックンを思い浮かべる人は少なくないだろう。今から600年前の朝鮮王朝開国直後に完成した法宮(王の住む宮廷)で、北部にあったことから「北闕(北の宮)」とも呼ばれていた。「景福」は「大きな福」という意味で、前方にはナムサン(南山)とチョンゲチョン(清渓川)、後方にはプガッサン(北岳山)を望み、風水地理説では最高の明堂(良い風水をもたらす場所)とされていた。

    朝鮮王朝開国の象徴であるキョンボックンは、建物一つひとつの雄大さと古典美が魅力的で、 クンジョンジョン(勤政殿)やキョンフェル(慶会楼)、ヒャンウォンジョン(香遠亭)、クンファムン(光化門)などは国の要所の象徴でもあった。

    特に、池の上に建てられたキョンフェルは、幻想的で優雅な優雅な朝鮮初期の建築様式が示されている。また、クンジョンジョンは、歴代王の即位式や大礼といった公式の儀式や宴会が開かれた場所で、朝鮮王室を象徴する建物だとされる。

    実は、キョンボックンは273年もの間放置されていた。何度も修復が計画されたが、実現しなかった。お家騒動で兄弟が兄弟を殺した場所であり、ペガッサン(白岳山)やイノァンサン(仁王山)から見下ろすことができる場所にあったからだ。

    しかし、王に即位したコジョン(高宗)はキョンボックンの修復を決め、フンソン(興宣)大院君を総責任者に指名した。そして、1865年から4年間にわたる工事の末、1868年7月に完成し、コジョンはキョンボックンに入った。当時、キョンボックンは約330棟の建物を有する雄大な宮廷だったが、その後の歴史的受難によって再び放置されてしまう。

    日本の朝鮮総督府が設置された1910年以降は、博覧会の会場として活用されるなど、宮廷としての機能が失われたが、1990年から本格的に復元事業が始まり、徐々に当時の姿を取り戻してきた。焼失と復元を繰り返してきたキョンボックンの復元工事は、2010年についに完了した。

    チャンドックン(昌徳宮)>

    キョンボックンに次いで2番目に建てられた宮廷「チャンドックン」は、自然と美が調和した独自の構造が認められ、1997年にユネスコ世界文化遺産に登録された。周辺の景観との調和と非定型の造形美が特徴の宮廷である。

    チャンドックンはキョンボックンの離宮として建てられた。離宮とは、戦や大きな事件が起こり、本宮であるキョンボックンを使用できないときに備えて建てられたもので、歴代王は、キョンボックンを使用できないときにチャンドックンに泊まった。そうして、チャンドックンは朝鮮王朝を代表する宮廷の一つとなった。

    チャンドックンもまた、朝鮮王朝の悲しい歴史が綴られた宮廷の一つである。テジョ(太祖)イ・ソンゲ(李成圭)には8人の息子がいたが、後継者を選ぶ過程でお家騒動が起こり、権力闘争の末、結局イ・バンウォンが第三代王テジョン(太宗)となった。テジョンはお家騒動が起こったキョンボックンに入ることを嫌がり、キョンボックンの東に新しい宮廷を建てさせた。それがチャンドックンである。その後、キョンボックンは長期にわたって放置された。

    チャンドックンは、キョンボックン再建までの約270年間にわたり朝鮮一の宮廷として使用された。そのため、日本による植民統治期にもほとんど原型のまま保存され、朝鮮王朝の歴史・文化研究における重要な史跡地となった。

    キョンボックンの主要な建物が左右対称の一直線上に建てられたのに対し、チャンドックンは人為的ではなく後方のウンボンサン(鷹峰山)との調和に配慮した構造になっている。その上、韓国らしさが最も表れている、生活しやすい宮殿であった。

    チャンドックンの最大の特徴は周辺の自然との調和だ。キョンボックンが平地に秩序正しく配置されているのに対し、チャンドックンは自然の地形を生かした美しい構造になっている。まるでスペインのグエル公園のように、険しくも優雅な自然の曲線に逆らわない自然美を見せている。

    特に、花や木の調和が美しいピウォン(秘苑)は、多くの王に愛された場所として知られる。プッカンサン(北漢山)から長く伸びた稜線を眺める森の道は絶景だ。

    トクスグン(徳寿宮)>

    歌「クァンファムン(光化門)演歌」の舞台であるトクスグンの石垣通りと、トクスグンの前で繰り広げられる「守門将交代儀式」は、外国人だけでなく韓国人にも人気だ。実は、ここは悲しい歴史を秘めた場所でもある。

    トクスグンの本来の名称は「キョンウングン(慶運宮)」。コジョンが即位するまでの約300年間、行宮として使用されていた。コジョンはキョンウングンを伝統と西洋様式が組み合わされた空間にし、西洋勢力を利用して日本を牽制しようとした。しかし、朝鮮後期から、西欧列強の圧迫や乙未事変、日本による植民統治期、朝鮮戦争など幾多の混乱の中で損傷し、当初の姿が失われてしまった。

    特に、コジョンが崩御した後の1919年以降は主のいない宮廷となり、日本帝国は道路、公園、学校を建設した。その後、朝鮮戦争などによってキョンウングンの敷地と殿閣は徐々に姿を消していき、もはや宮廷は原型をとどめなくなった。

    トクスグンは朝鮮後期から絶えず歴史的事件の中心にあった。他の宮廷とは違い、トクスグンには西洋風建築物「ソッチョジョン(石造殿)」など、朝鮮後期の様子を垣間見られる建物が多い。また、周辺には各国公使館があり、列強の間で混乱に巻き込まれていた朝鮮の様子を想像することができる。

    1900年代初頭の悲しい歴史を秘めたトクスグン。現在では、多くの韓国人・外国人が訪れ、季節を問わず様々なイベントが開かれる観光名所となっている。